やっちゃえ先生探究記

生徒の力が引き出される「学習者中心の学び」をデザインしたい教員です。地道な形成的評価を大切に。

宮下奈都『羊と鋼の森』からパクろうと思ったこと笑

こんばんは、やっちゃえ先生です!

他の先生方はどうか分かりませんが,6月は中間試験(後の成績処理)や学校行事、HRのごたごたに部活動の大会ラッシュ、保護者会や面談などなどがあり、しかも連休もないため猛烈に忙しさを覚えています汗

授業案も更新していきたいと思っていますが、ひとまず毎年本屋大賞の本はざっと読むことを続けているので、今年も宮下奈都さんの『羊と鋼の森』読んでみました。

 

小説そのものとしては、ピアノ調律師としてスタートを切った主人公の成長を描く物語で、なんというか「エグみ」とか人間のドロドロした部分はあまり書かれていないので、やさしい気持ちで読める本でした。平和な世界。

 

こういう本は実はあまり好んで読まない類で、もっと文学だから書ける人間のあくどい部分とか、複雑怪奇な心のうちを描いてくれる方が私は好きなのですが、こういうのパクろう笑 と思うようなやりとりもありました。

 

主人公がその世界に足を踏み入れる直接のきっかけとなった、師?憧れ?である板鳥さんからプレゼントをされるシーン。

「すごく使いやすそうなだけでなく、実はすごく使いやすいのです。よかったらどうぞ。私からのお祝いです。」板鳥さんは穏やかに言った。


「なんのお祝いですか?」こんな日に。記憶にある限り、僕の人生で一番だめだった日に。


「なんとなく、外村くんのかおをみていたらね。きっとここから始まるんですよ。お祝いしてもいいでしょう。」

 こういう「ニクいね!」みたいなことをすっと言えるようになりたいですね笑

すごく使いやすそうなだけでなく、実はすごく使いやすいのです。よかったらどうぞ。」

 って本当にスマート(個人的見解です笑)、この重ねてぐっと言うけど、「よかったらどうぞ」ですっと引くこのバランス感。笑

 

 

小説全体にクリーム色?というかやさしい日射しが降り注いでいるような穏やかな話だったので、原民喜のこんな言葉も引き立つなあ、と思いました。

「明るく静かに澄んで懐かしい文体、少しは甘えているようでありながら、きびしく深いものを湛えている文体、夢のように美しいが現実のようにたしかな文体」

どんな音を目指しているのか、という問いに、原民喜のこの言葉を出して、そんな音を目指している、という話が板鳥さんから(?)出てきます。こういう人間の割り切れなさ、こそ人間の魅力であり、どうしようもない部分だと思っているので、論評云々ではなく、好きですねこういう表現は。

 

 

それから、主人公が肩入れをするピアノを愛する双子がいるのですが、

その一人がこう言うわけです。

「ピアノで食べていこうなんて思ってない」和音は言った。

「ピアノを食べて生きていくんだよ」

単純になるほどな笑 と。こういう言い回しの巧さ?(わざとらしさもあるが)は宮下さんの特徴なのかもしれませんね。

 

最後に綴られているこういう言葉も、ほえーと思わされました。自分の仕事に「?」を投げかけるときは誰しもあるかと思いますが(それがないと不健全な気もします)、そんなときの言葉。

もしかしたら、この道で間違っていないのかもしれない。時間がかかっても、まわり道になっても、この道を行けばいい。なにもないと思っていた森で、なんでもないと思っていた風景の中に、すべてがあったのだと思う。隠されていたのでさえなく、ただ見つけられなかっただけだ。安心してよかったのだ。僕にはなにもなくても、美しいものも、音楽も、もともと世界にとけている。

 

善いという字は羊から来ている。美しいものも羊から。古代中国では、羊が物事の基準だったそう。神への生贄。
いつも執念深く追求しているものじゃない。羊だったんだなあと思ったら、最初っからピアノの中にいたんだなって。

 

私が特に好きな表現は、

僕にはなにもなくても、美しいものも、音楽も、もともと世界にとけている。

 ですね。もともと世界にとけている、ってのがおしゃれです笑

 

 

ともあれ、最後の引用はこの本の「羊と鋼の森」の意味を教えてくれています。気になる人は2、3時間でさーっと読めるはずなので、読んでみて下さい。

(でもめちゃくちゃオススメ!というわけではありません笑)

 

 

書評ばかりではいけないなと思いつつ、書評を書くのは自分のためになるし、思考整理になるからいいなあと思いますね。

さあ今週も折り返し、後半戦がんばっていきましょう!

ではまた!