やっちゃえ先生探究記

生徒の力が引き出される「学習者中心の学び」をデザインしたい教員です。地道な形成的評価を大切に。

教育の「罠」があるとしたら、なんだろう。

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教育に携わっていると、あれもこれも、と思ってしまいがちです。

私はこれが、教育の罠だと思っています。

 

教育には「これをやる」という発想はよくでますが、

「これをやらない」という発想が本当に抜けがちです。(自戒もこめて)

 

◯「あれもこれも」で失敗した私の話

今日は授業で生徒たちに『学び合い』をさせました。

お題は、試験の総復習。

一度解いた試験の総復習として、いくつかの問題を抜粋し、『学び合い』の手法で、生徒たちに取り組ませました。

授業時間のほとんど全てを生徒に委ね、場の進行役に徹していました。

解答はすでに生徒たちの中にあると信じ、呼ばれたとき以外はなるべく介入せず,観察観察、ひたすら観察。

 

生徒たちは真剣に学び合ってくれて、本当に教師冥利に尽きる時間でした。

が、ひとつやってしまった私の失敗は

 

「問題を増やしすぎた」ことです。

試験の問題は、その生徒たちに合わせた単元の総復習であり、厳選した問題集です。市販の切り貼りのテストは絶対に作りませんし、使いません。

なので、教員としては思い入れがあるわけです笑

 

「これは分かっててほしいよな」

「あ〜これは正答率低かったからやり直してほしい」

「これは、ほとんどの人ができていなかったから取り組ませたいな」

・・・が止まりません。

 

結果、少なめに設定したつもりが、問題が多すぎた事で、時間内に全ての生徒が取り組み終える、一人も見捨てない、という『学び合い』の大目標の達成ができませんでした。

 

指示しなくても学び合っている生徒たちには、目標を達成して喜びたかったのですが、申し訳なかったですね。

「まだ◯◯が終わってないからもう少しやっていい!?」と言われ、あああああごめん!という気持ちでいっぱいでした。

 

まさに、「あれもこれも」の失敗です。

 

◯教員の「働き方」も、あれもこれも

働き方も同じ事が言えます。

教育は、「やった方がよいこと」というのが無限に有ります。しかも厄介なのは、複数の戦術を、同時並行して用いることができます。

 

ビジネスであれば、無数の手段がある中で、何をやるか(何をやらないか)を徹底吟味します。なぜならビジネスの目的は利潤の追求だからです。

そのために、最も最短距離で行ける手段の選定に時間を費やします。実際、民間企業にいたときは、選択と集中を常に意識していました。(せざるを得なかった)

何かをやる、ということは、何かをやらないことである。

という意識が猛烈にあった。

 

しかし、

教育であれば、「あれもやろう、これもやろう」となりがちです。

あれもこれも、ができてしまう、といったらよいでしょうか。

でもこれは、罠ですね。

 

あれもこれも、によって、結局何をしたのか、何が大切なのかがぼけていきます。

 

「生徒のため」は魔法の言葉です。全てが正当化されるような気持ちになる。

「生徒のため」と言われると、真っ向から否定しにくい。

でもそれが、魔法なのかは注意が必要ですよね。

 

生徒のために、やらないことを見極めることこそ、本当に必要なことだと思う今日でした。強い自戒をこめて!