やっちゃえ先生探究記

生徒の力が引き出される「学習者中心の学び」をデザインしたい教員です。地道な形成的評価を大切に。

教員の実態は、こうなんです。〜ボーナス・退職金ありの契約社員?〜

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※2017.6/1追記あり

公立学校の採用試験合格発表が続々となされている今日ですが、そんな公立の影でひっそり「不定期で」私学の採用情報がUPされている、そんな時期です。

これは公立・私立どちらもだと思いますが、教員の雇用形態は主に以下の3つあります。

①専任=ボーナス・退職金あり、安泰の正社員。

②常勤=ボーナス・退職金は学校(自治体)による任期付契約社員。

③非常勤=ボーナス・退職金なし。一般で言う派遣社員。

 

①と③は、民間企業でもよくある雇用形態ですので、あまり説明の必要がないかと思います。③であれば、担任などもありません。校務分掌(所属部署)や部活動の顧問をもつことも原則的にはないですね。

 

常勤講師という謎の雇用形態

問題、というか、はっきり言って謎なのが、②の「常勤」というカテゴリーです。

一般的には、「常勤講師」という肩書きになるでしょうか。

否定する訳ではありませんが、結局これは使用者のための制度であって、労働者のための制度ではないと思っています。

 

公立では、「臨時的任用教員(常勤講師)」、よく「臨任(りんにん)」などと呼ばれることが多いでしょうか。私立では、そのまま「常勤講師」ですかね。

こちらのサイトには、常勤講師の説明が書かれています。

www.kyoushi.jp

業務内容

常勤講師の仕事は基本的に正規の教員と同じで、授業はもちろん、担任のクラスを持つことや部活動の顧問を引き受けることもあります。
代理を務めるのは、採用年度内となりますが、常勤講師としての働きぶりによっては、さらにもう1年度更新されることもあります。(太字は筆者)

待遇

都道府県によって異なるものの、正規の教員と同様に、月額での給与支給、ボーナスの支給があるほか、保険への加入が可能です。
しかし、あくまで臨時採用であるので、長期的な安定感などは当然正規の教員に劣ると言えます。(太字は筆者)

 

常勤講師=「代打」

 はっきり言いますが、上のサイトのタイトルにあるように、教員採用試験に落ちた場合の選択肢として浮かび上がる常勤講師は1年契約の「代打」なのです。

(家庭などのご都合で自ら「代打」の道を選ばれる方がいらっしゃり、「常勤」への需要があることは否定できませんが。)

 

しかし、野球を始めた時から「代打」を目指す子どもがいないように、

教員採用に臨むにあたって、

始めから「常勤」を目指す人など皆無に等しいのです。

「代打」として実績が残せれば+自治体(学校)側が雇用できれば、来年も「代打」で頼む。というのが実態です。

 

私学の場合だと、採用公募にも「専任・常勤」というあいまいな募集をしていることがあります。

これは、言い換えれば、

専任(レギュラー)になれるかもしれないけど、数年は常勤(代打)だよ

ではないでしょうか。

(学校側は「条件のよい」求人と思わせたいので「専任」の文字を消しません)

 

代打でも、見合った働きをして専任にしてもらう、

あるいは、その働きに応じた給与をもらえる

なら分かりますが、

使用者の思惑一つで専任になれるかが決まる状態は、適正な評価機能が働いているとは断言できません。

また、教員の世界は往々にして年功序列、経験年数=昇給です。

2017.6/1 追記:退職金は出るの?いつ?

退職金に関する問い合わせを頂戴したので、私のケースを書いておきます。

私の場合は、退職金あり、の雇用形態でしたので、頂戴しました。

額は就労規定通り(専任の先生と変わらない扱い)でした。

もう一ついうと、常勤講師の私の立場で異なっていたのは離任式での扱いです。

「契約満了」との扱いで紹介がありました。「学校側が手放した」という理由にして、「私から別の学校へ移る」という理由にしなかったのは、生徒に対する配慮なのかなあ、と思っています。

もし、ご自身が同じような境遇で、気になる場合は、離任式での紹介のされ方について確認してみることをオススメします。

まとめてきましたが、これが常勤講師の実態です。

ビジョンを描けない採用

教育界は真剣に考えないといけません。

理由は力のある教員候補者が、民間企業に流れてしまうからです。

専任になれるかわからない、成果を出しても大きく昇給しない、仮に出世すれば生徒との時間が減って仕事は増える、んです。これでは本末転倒。

民間企業の方が、チャレンジングで、おもしろそう、に思う学生さんは多いのでは。

 

教育以外にも人生の引き出しを多くもつ、「おもしろい」人間が教員にならずに民間に行き、はじめから「先生になりたい!」と夢にみた純粋な人が多く教員になる。(それでいいのかもしれませんが…)

大学時代には、行事の引率の仕方なんて学ばなくていいから、

もっと「学問」に触れてほしいし、とにかく行動もして欲しい。

目的的ではない学びをしてほしいと私は思います。

 

おわりに

教員免許をとらなくてもよい教育学部(=ゼロ免課程)を縮小する政府の動きは、こうした流れに拍車をかけますよね。

resemom.jp

多様な人材が求められる社会にどんどん移行しているのに、学校の採用形態は、画一的な教育と親和性の高い教員をどんどん生み出している。

そんな構図です。言い過ぎ? 

話が広がりすぎましたが、教育界はもっと「採用」「雇用」を考えなければいけない、教育が悪い意味で社会から乖離してしまう。と心配になった夜でした。