やっちゃえ先生探究記

生徒の力が引き出される「学習者中心の学び」をデザインしたい教員です。地道な形成的評価を大切に。

なぜ野党統一候補を立てられなかったのか?立候補者本人にきいてみた~共産党と立憲民主党の選挙協力は野合?~

「「ご声援ありがとうございます!」と手を振る立候補者「ご声援ありがとうございます!」と手を振る立候補者」[モデル:大川竜弥]のフリー写真素材を拡大

帰り道の一コマ

退勤途中、雨の降りしきる駅前で、演説を終えた共産党の候補が一息ついていた。周りの様子からも邪魔にならなさそうだったので、聞いてみたかったことを聞いてみようと声をかけてみた。

この選挙区では、与党候補に対し、共産党、立憲民主党、その他の候補が1つの椅子を争っている。となれば、野党間で「票の割れ」が起こってしまう。

選挙で、複数の立候補者に票が分散すること。 

だから、可能な限り野党が選挙協力をして、与党候補との一騎打ちに持ち込むなど、選挙戦略を立てる必要がある。

しかし、それが今回はかなわなかったようで、共産党候補も、立憲民主党候補も、その他の候補もいる選挙戦となっている。ということで、きいてみた。

「なぜ今回共産党と立憲民主党は野党統一候補を立てられなかったのですか?」

候補者本人に、そんなことを聞いたのは無礼だったかもしれないが、ぶっちゃけで答えてくれた。結論としては、

「ぎりぎりまで調整していたが、間に合わなかった」

とのこと。応援してくれる地盤がある候補者同士だと、どちらが立候補を取り下げるか、というのは思っている以上に調整が難しいらしい。

もちろん、政策が本来一致していない党同士が手をつなぐのだから、それは容易ではないだろう。

ある意味、自民党の思惑通り?野党のごたごたの間に解散総選挙!というねらいがハマっている、ともいえるのだろう。

「では、統一候補を立てられた選挙区はなぜそれができたのですか?」

いやな質問だったかもしれないが、考えうる理由をいくつもあげてくれた。まず出てきたのは、

  • 事前からの党幹部の調整がうまくいっていた
  • 候補者同士で調整ができる環境にあった

ということ。実際、候補者同士で選挙協力のために話し合う、ということができたとしても、政党から公認を受けている以上、候補者は勝手な判断ができないというのが実情らしい。

で、その政党幹部は何を考えているかというと、

全体を見たうえでの選挙戦略だ。たとえば、

  • この選挙区は「必勝区」かどうか?

つまり、その党にとって、この選挙区は”勝てる候補”を立てているのかどうか、ということだ。逆に言えば、”勝てる候補”のいる選挙区は、絶対に勝ちたいので他党との選挙協力には応じにくい選挙区だといえる。

選挙、といっても党にはこの選挙区は勝てそうだ、勝たなければいけない、などの思いの濃淡がある。これが思ったより野党統一を難航させている。

ということは、野党統一候補が立てられた選挙区というのは、”必勝区”や”地盤を支える人々”の調整がうまくいった場所であるということだ。

そしてもうひとつ驚いたのは、

比例代表での得票のため、勝てなくても?小選挙区に候補者を立てる!

ということだ。当たり前に聞こえるかもしれないが、

勝てそうにない候補でもなぜ候補者を擁立するかというと、その候補がいることで、「〇〇党」の認識が選挙区内の有権者に植えつけられ、比例代表で「〇〇党」を書いてくれるのでは、という希望的観測?を持っているらしい。

確かになあ、という気もする。

共産党なんかは特にそういう人海戦術をとるのだろう。

ある記事では、今回インタビューに答えてくれた候補とは逆にこんなことが書いてあった。

共産党は、立憲民主党の候補者を支援するためにせっせと自分たちの候補者を下げているようである。
負けることが分かっていても自分たちの組織の拡大や勢力の拡大のために候補者の擁立に奔っていた共産党が、いつの間にかずいぶん融通無碍になっていることに驚いている。 さて、立憲民主党はどこまで共産党支持層に食い込めるか

とあったが、昔に比べたら今は融通無碍なのだろうか。

おわりに

思い立ってふらっと候補者本人に聞いてみたけれど、表情も含め、リアルなことを語ってくれたので本当にありがたかった。

そしてもう一度思ったのは、複数から多数決で1人を選ぶ小選挙区制の弱点だ。

多数決のもとで有権者は、自分の判断のうちごく一部にすぎない「どの候補者を一番に支持するか」しか表明できない。二番や三番への意思表明できないわけだ。万人に広く配慮したくとも、一番に支持してもらえないと票に結びつかないので、そうしにくい。その結果として選挙が人々の利害対立を煽り、社会の分断を招く機会として働いてしまう。だがこれは、政治家や有権者が悪いのではなく、多数決が悪いのではないだろうか。しかし多数決を採用しているのは人間である。多数決を自明視する固定観念が悪い。」『多数決を疑う』

候補者にも、政党間の調整など気にしなくていいような、本当に心の底から戦える選挙制度って、いったい実現できるのだろうか。

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