やっちゃえ先生探究記

生徒の力が引き出される「学習者中心の学び」をデザインしたい教員です。地道な形成的評価を大切に。

授業準備が終わらない!教員の悩みとどう向き合う?〜「1学期分は終わらせておく」の真意〜

授業準備が終わらない!!

…祝日のないGW明け〜7月頭に教員が直面する悩みの1つではないでしょうか。

かく言う私も「終わった!」と100%の気持ちで授業に臨めることは多くありません。

ただ、授業準備の考え方については、先輩方に教わってきたこと・取り組んできたことがあるので、まとめてみたいと思います。

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 「1学期分は終わらせておきたいよねえ」

初任の学校で、授業づくり研修の際だったか、教頭が言った言葉です。

正直、それを聞いたときは「1学期分!?」と驚きを隠せませんでした。

確かに、1日3~4コマの授業を行い、HRを持ち、部活動顧問も務めているとなれば、勤務時間中に授業準備をする時間など十分に確保できないでしょう。

(その教員の働き方自体に、いま少しずつメスが入っています。)

ある意味、昔はそれが普通だったのかもしれません。

・定型的な教える内容を、分かりやすく伝える。

・生徒は静的で知識を享受する存在である…

このような授業観・生徒観に基づけば、1学期分の授業準備は可能でしょう。

ただ、もうそのような授業観がまかり通る時代でないことは明白です。

では、あの教頭の言葉を今、どのように解釈すべきでしょうか?

授業プリントの作成ではなく…

私はこう解釈しようと思っています。正確に言うと、それが一番必要だ!と現場で思っているから、このように解釈しています。

実際、1学期分の授業準備はできたとしてもアテになりません。

学習者である生徒の様子や、学び方の検討なしに授業をするなど怖くてできません。

でも、1学期分の授業回数から逆算して単元を配置し、

  1. 何を 
  2. 何のために
  3. どういう方法で
  4. どの程度まで

授業で学ぶか、なら考えることができます。

むしろ、こうした中期的な計画は尻切れとんぼの授業にしないためにも非常に重要だと思っています。

私は手帳に、授業スケジュールと先の4点をメモ書きでザーッと書いて、授業終了後にはその手帳に振り返りを書き込んでいます(2.何のために は割愛することも)

昨年度の内容を見返しながら計画を立て、内容も改善していきます。

これは初任の勤務校で圧倒的な授業力のある先生が行なっていたことです。

でも目先のことでいっぱいいっぱいなんだよ!

と言う気持ちになる方もおられると思います。というか、私の現在もそうです。

でも、目先のことでいっぱいいっぱいになるのも授業担当者としては最低限の義務であるような気がしています。

それができて、初めて中期的な計画が意味をなしてくる、そんな実感を持ち始めています。

そのために、やっぱりどこかで時間を捻出しなければいけないし、現場だけでは見えないこともたくさんあります。

本を読み、発信することで受信量も増えていき、質も上がってきます。

実際、ブログのおかげでたくさんの知見・名著に巡り会えています!!!

ある先生のダイアリーがかつて衝撃的だったのですが、こうした学校で奮闘されている先生方もおられます。勉強することが支障にならない生徒たちを受け持てているのは偶然でしかない、ならば、その偶然を社会に還元できるようにベストを尽くそう、という気持ちです。

www.yacchaesensei.com

授業が「なまもの」でなかったら、私はきっと教員をしていないと思えます。

「なまもの」の授業・場だからできることを追求していきたいです。