やっちゃえ先生探究記

生徒の力が引き出される「学習者中心の学び」をデザインしたい教員です。地道な形成的評価を大切に。

特別支援学級が「見下される」のはなぜか?

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先日このツイートが目に留まりました。

一般化はできないけれど、こういう事実があるとしたら非常にもどかしい。

もし自らの承認欲求のために支援級を見下すような教育者がいるとすれば、あまりに不幸で、言いようがない。

ただ、それを個人の責任や倫理観に帰着させる前に、なぜそういう構造が生まれているか、を問うことも必要だと思うのです。

いつのまにか、いない

日本で育っていると、小学生くらいまでは身近なところに「障害」をもった友人がいた人も多いのではないでしょうか?

私も小学校の頃よく遊んでいたKくんとSくんという兄弟がいたのですが、中学に進んだとき、彼らは支援級に在籍することになりました。

後で私は「自閉症」を知りましたが、中学に入ってから支援級に在籍する彼らと次第に疎遠になり、いつの間にか生活を「共にしない」存在になっていました。

高校に進んだときには、彼らがどこでどうしているのか全く分からなくなりました。

感覚で言えば、いつのまにか、彼らはいなくなっていたのです。

少なくとも教員なら

特別支援教育などSpecial Needsをもつ子供達や、その支援に関する価値を体得せねばならないと思います。技術より、観です。

が、大学の教職課程でそのような科目を取らなければいけないのか?

というと、私の記憶だとほとんどそのような科目はありませんでした。

私は特別支援教育に関する山田先生(仮名)の授業をたまたま履修したことが印象に残っています。

ある日の授業で山田先生が言ったことを一つ紹介します。

「皆は電車の中で奇声をあげる人をみたことがありますか?ありますよねきっと、ちょっと怖いよね。でも、今日からは「あ、あの人は山田の友達だ」と思ってくださいね。」
にこにこ、ひげもじゃ、柔らかい雰囲気の山田先生がにっこり笑ってそう言ったことを今もよく思い出します。

ちょっとこれだけでは何も伝わらないかもしれませんが、私は今もこの言葉に支えられている部分がある気がしています。

が、こうした授業を教職課程で履修することは、国の要領として決められたものではなかったはず。

むしろ、全7日間の介護等体験がすべてなのかもしれません。

介護等体験でも 

私の体験記はこの記事にまとめていますが、本当に忘れられない体験でした。

www.yacchaesensei.com

ともに生きるということがどういう意味かを身を持って教わったと思います。 

プールに一緒に入って生徒をみつめるまなざし、教室で生徒たちに語りかけるまなざし、一緒にご飯をたべるまなざし、手を洗わせる時のまなざし。

本当に、「教育者」の目でしたね。心の底から「この子たちがかわいい」と思っているのがにじみ出ていました。

あれが教育者の眼差しでした。

障害者だから、と言われたら

公立中学で特別支援の免許ではない、いわゆる普通免許の先生が、特別支援学級の担当となり、深い愛情をもって接している姿も目の当たりにしました。

授業規律を守れずはしゃいだり、ちょっかいを出し続ける生徒に厳しく指導をする。

泣こうがわめこうが、目をグッと見つめて語りかけて指導をするその姿を忘れません。

その先生が飲み会の場で熱く語ってくれたことを紹介しましょう。

「こいつらが社会に出て「お荷物」になったらどうする?皆生きていかなきゃいけないんだ。自分で、自分の生活を支えるためには、社会に出た時に「障害者だから」って言われるんじゃダメなんだ」

教育者として、好かれようが嫌われようが、教えなければいけない、と生徒たちに本気で向き合う姿は、今思い出しても込み上げるものがあります。

ニュージーランドのテロ

の後🇳🇿首相がしたことを思い出します。

津久井ひめゆり園のあのテロの後、日本でどんな動きが起こっただろうか… 

おわりに

インクルーシブ教育、最近聞かれなくなったような気がします。

インクルーシブ教育という言葉の内実がどこまで共有されているかは何とも言えない。そして必要な支援を必要な場所で、というのも理解できる。

が、「別」の世界で生きている、という感覚が拭えないのはどうしてなのだろう。

別の世界で、知らずに生きちゃっている。

自分もその点では何も変わらない。だから想像したくないけれど、見下すような物言いを自分がしてしまうことがあるかもしれない。

いつだって山田先生の言葉や、支援学校・学級で教わった大切な言葉を思い起こしたい。血肉化して共にありたい。