やっちゃえ先生探究記

生徒の力が引き出される「学習者中心の学び」をデザインしたい教員です。地道な形成的評価を大切に。

試験対策プリント配布を考える

こんばんは!やっちゃえ先生です!

今日は中学・高校の定期試験が近づいているということで、試験対策でのプリント配布の是非?について考えます。

皆さんの学校では「試験対策プリント」なるものは存在したでしょうか?

 

教員目線で考えると、

大体学校で試験対策・問題演習のためのプリントを配ろうとすると、

「生徒がプリントしか勉強しなくなる、それは本当の勉強ではない」とか

「必要であれば自分で購入すれば良い」とか

「印刷・管理が大変」などの声があがることが多いです。

 

一方で、それとは逆に、

「問題が解けなきゃ点取れないわけだから、がんがん解かせよう」とか

「最小限の問題演習はさせるべきだから配布しよう」とか

「勉強したい、という気持ちを阻害することはない」

などの声もあがります。(これ本当によくあるんです)

 

もちろん、どちらの立場も理解できるものなのですが、

私は、配る・配らないは手段の問題にすぎないと考えています。

「プリント=試験問題と生徒の学力 のギャップを埋める手段」としてとらえてみると、この配る・配らない論争も見え方が変わってくるはずです。

 

少し詳しく説明をすると、

学校毎あるいは教科ごとに、今回の試験問題は◯点くらいの平均点を見込んで作問しようという共通認識があるはずです。まず確かめるべきはここ。

 

例えば、今回60点くらいの平均になるようなテストだとしましょう。

そこに、生徒の学力がどこまで追いついているかの「見立て」をするわけです。

(この「見立て」ができるのが、優れた教員の一つの要素だと思っています。)

 

具体的には、日々の授業を通して、

「この感じだと◯点は軽く超えそうだな」という場合や、「いや〜厳しい!」というケースもあるかと思います。

 

この見立てに従った時、プリントは、後者の時に使用する手段だと思います。

前者の場合は、問題のレベルを1段上にして、これで目標平均点になるかな、という問題にして下さい。その上で、補足的にプリントを使用したらどうでしょうか。

 

プリントを配る・配らない論争は、あくまで手段の問題です。問題と生徒の学力があって、そこから必要かどうか、どういう理由で配るのか、を検討すべきです。

 

わたしはどちらかと言うと「最低限の学力を保障する」ことは学校の責務だと思っていますので、生徒の学力保障のためであれば、なるべくプリントを使用してよいと思っています(用途や意義は十分に説明しますし、問題演習がメインです)。

公文式も、これゆえに学力保障ができているのではないでしょうか。

 

目標は60点だけど、単元の難易度から言って70点くらいの平均点になりそうだから、プリントは配らない、では私は詰めが足りないと思います。教員は目標となる点数に対し、できる限り迫れる作問をすることが求められると思います。それをした上で、プリントの有無を考えるべきだと思います。

 

ベテランの先生こそ、プリントに関しては一家言お持ちの方が多いです。

そのご意見も踏まえつつ、でも本当に大切なことは何かを考えて配布の有無を決めたいですね(私もその1人です)!

プリントひとつとっても、正解はない中で運用を決めていく、とってもクリエイティブな仕事ですよ教員は!

ではまた!