部活動の存在について、あなたはどうお考えでしょうか?
以前ブログ内でも、部活動顧問を務める教員の立場や、その心情面について2回、プチ分析をしてきました。 (本記事の内容にもつながってきます。)
部活肯定派と否定派の教員それぞれの心情についてはこちら。
その心情を踏まえても、なお部活動廃止を主張できない教員の実態・立場はこちら。
部活動顧問については思う所がある教員がいるとしても、その廃止を表立って主張する教員はあまりいない。という現状です。
「アクティブ・ラーニング」については、文科省もオラアア!!と言わんばかりに教育界に新たなうねりを巻き起こしているのに、部活動制度については、音沙汰も有りません。
結局、。
ということで!!
◯あえて擁護してみよう 笑
柄ではないですが「教員」らしく、率先して「自分の意見と異なる主張に耳を傾け、接点を探るためにも学ぶ姿勢を見せよう」と思います笑
部活動をあえて擁護してみると、こういう主張があるのではないでしょうか。
部活動は、何と言っても生徒のためにある。
生徒が、「自らの意志」で選択した部活動なのだから、それを廃止してしまっては生徒のためにならない。
部活動に打ち込んでいれば、生徒は荒れにくく、人間として成長していく様子もよくわかる。
部活動の教育的意義は思ったよりも大きいのではないだろうか。
なるほど、納得できる主張です(棒読み)。
ここで考えたいのは、「部活動に打ち込んでいれば」という部分。
◯打ち込むものがある幸せ
大人で考えてみても、何かに打ち込んでいる人生は楽しいですよね。
ましてや、子どものときに、何かに打ち込んだ経験ってとても大切だと思うのです。
その経験が人生を豊かにする、という価値観をお持ちの方もいらっしゃると思います。
先に結論を言いますが、
部活動廃止論に欠けがちなのは、
子どもから、打ち込むものを減らすかわりに、他に打ち込む代替案を提示できていないことだと、みそ汁を飲みながら、ふと思いました。
子どもが部活動に強制参加で嫌がっているならまだしも、自ら選んだ部活動です。
(「いや、周りの空気で/親の要望で、やらされているだけだ!」論はちょっと我慢)
自ら選び、打ち込んでいる(打ち込もうとしている)部活動を子どもから奪ったら、その時間、子どもは何をすれば良いのでしょう??・・・勉・・強?
制度としてある程度、国民的合意がある部活動制度を廃止(縮小)していくとするならば、それに代わる制度、子どもの「打ち込むもの」を用意する必要があります。
この「打ち込むもの」の代替案を考えない部活動廃止論は、強硬な手段にでない限り、実現に結びつきにくいでしょう。
例えば、海外の例も踏まえて言うと、
・地域のスポーツクラブ
・希望者制の資格学校/習い事
・プチインターンのような職業見習い
等があるんでしょうか。(詳しい方お教え下さい!!)
でもこれの問題点の一つは、
結局、「打ち込めるもの」探しを、豊かな層しかできないことかもしれません。
仮に教育バウチャーなどで、支援金を支給するにしても、その財源はどこから出るのでしょう?(増税しないで出来るならば知りたい)
その財源を子どもに回すことが可能でしょうか?
人口構成上、高齢者にまわすおカネを子どもにまわす、ことを国民が合意しなければいけないでしょう。
(高齢者を敵に回す政策をしたがる政府はほぼいないはずだから、厳しそう)
その意味で現在の部活動は、
①学校に通う生徒に無条件に「打ち込めるもの」探しをさせる機会を与えています。
②親としても、子どもが部活に打ち込んでくれれば、正直言って手がかからないでしょうし、子どもがやりたくてやっているのだから、応援しよう、という気持ちがわくのでしょうか。
③世間からしても、「教員が無償でやってくれるならお願いしよう。」「部活顧問をやることを織り込んで教員になったんでしょ?」っていざというときには言えますもんね。
ということで、
①子どもも、②親も、③世間も、部活動廃止に積極的になる理由があまりないのです。
教員の負担軽減を訴えるのは、もう教員自身しかいない論が成り立ちそうです。笑
社会の仕組みから考え直す必要が有りますね。
少なくとも、価値観をじわじわ変えつつ、部活のかわりに打ち込める物を用意しなければ、厳しいでしょう。
ああ、書いててちょっとがっかりしてきました笑
個人的には、少なくとも部活顧問は選択権を保証してほしいですよね。何部の顧問になるか。これが本意でないと、ほんとにつらいです。続きはまた!