9月は、教員にとってまた一つ注意していなければならない時期と言えます。
9月病
永遠にも感じられた輝かしい夏休みが終わり、新学期が始まることによって気分が落ち込む状態。残暑も厳しく、身体的にもつらい。少し日が短くなってきたことも哀しい心に追い打ちをかける。何事にもやる気が出ず、だらだらとしてしまう。もう少し涼しくなる10月になったら本気だす。
生徒がふざけて、「あー9月病だわおれ笑」と言っているうちはまだいいのかもしれない(これも実はよく観察しないといけないし、言葉だけで安心してはいけないのだけど)。
9月は本当に生徒たちの様子も、どこかふわふわしていることが多いです。特にまだ慣れてない1年生は、夏休み明けはまた1からクラス作りをするようなイメージです。
当然、生徒の中には、学校に行きたくないという思いを抱えている生徒がいるでしょう。
今日読んだ小学校の先生のブログは、その「行きたくない」という思いを抱える生徒の心情に寄り添い、教員として大切な考え方を示してくれました。
「行きたくない」と思う。 - 最笑はGOOD!〜ちょっとBigな教師のブログ〜
何かのご縁で私が受け持った生徒の中にも、そのような思いを持ち、そんな自分に悩む生徒がいました。
学校に行きたくない、にどう接するか。私が大切にしている考え方を整理してみたいと思います。
○あえて「分からない」と思う
どんなに賑やかなクラスでも、楽しそうでも、一人一人の心のうちは、分かりません。
この「わからない」ということをわかっていることは、何度強調してもし足りないと思っています。
だからこそ分かろうとする。
生徒に限らず、相手のことをわかったと思ったら、わかったと思わないように、と自分に言い聞かせるようにしています。
人は見たいように見る生き物です。
どんなに多忙でも相手をわかろうとして働きかける。辛抱です。笑
敢えてそのために時を待つこともあるし、声をかけないこともある。その見極めができる存在の1人でありたいですね。
わかった!と思ったその瞬間に、「まだわかっていない」と思う謙虚さを忘れずにいたい。
○学校に行かなくたって問題ない
こういうと本末転倒のように聞こえますが、割と本気でそう思っています。
海外の例を見れば、アメリカではホームスクーリングが認められていますし、「学校に行かない自由」が市民権を得ている国もあります。よって、「不登校」という言葉が通じない国もあります。
海外出身の友人に「不登校」の説明をすると、「確かに学校に行けないのはショックかもしれないが、なぜそれがいけないんだ?」と言われたりします。
要は、学校に行かなくたって子供は育つのです。
このことを、示してあげるだけでも保護者や生徒は本当にホッとしてくださいます。
○それでも、学校復帰を目指す理由
矛盾するかもしれませんが、不登校の生徒に対しては、それでも学校復帰を目標にして関わり続けます。
もちろん、本人の意思や状態が大切ですので、無理にはさせません。今の学校に通うことが必ずしもプラスになるかはわかりません。
が、なぜ学校復帰を目指すかというと、
「他者との関わり」の中で生きることで、学んで欲しいからです。
だから、学校には来れなくてもいいから、継続的にやり取りをしていこう?いいかな?と必ず確認をします。(言い方にも気をつけますが)
保護者の方との継続的なやり取りも重要ですが、それ以上に生徒本人とのやり取りが大切ではないでしょうか。
人間は人の中でしか育たない、というと教育者ぶっていておこがましいですが、関わりの扉を閉ざさない姿勢を示し続けたいですね。
全ての子供が、学校が楽しいと思える仕組みを作ること。究極の課題かもしれません。
わかったような記事を書いてしまいましたが、本当にまだまだ勉強です。日々精進!