今日こんな対談記事を読みました。(無料ログインしないと続きが読めないのですが…)
対談していたのは、
リクルート→民間人校長として「よのなか科」を始めた藤原先生
名門・両国高校の「教えない」英語の授業で有名になった山本先生です。
わざわざ登録して読むのは、、、という方もいらっしゃると思いますので、その必要のない関連記事も載せておきます(あくまで関連記事)
◯教えない授業は、どうすれば可能なのか?
「教えない授業」とは
山本氏が都立両国高校3年の英語の授業で実践している、生徒が主体になって学ぶ授業。例えば、生徒がペアになって発音の練習をしたり、分からないことを教え合ったりする。生徒のペアは、フォークダンスでペアを変えていくように順番に変えていく。学年の最後には、生徒が先生役になって授業内容を考え、実際に授業を行う。
今までの日本の授業観や教師観とは一線を画すものなのかもしれません。
いわゆる「アクティブラーニング」の一種と言えると思います。
最初の記事を読むと、
藤原さんは、山本先生でなくても現場の教員が「教えない授業」をできるように、質問を投げかけてくれてい(るように見え)ます。
(それに対し、端的に答えているとは見受けられないのですが(失礼))
例えば、
藤原:英語のコマ数が週に数コマあったとしたら、どれくらいの授業を「教えない授業」でやっているんですか。全部じゃないですよね。
山本:基本は学び方を教えるトレーニングの時間と、生徒を放っておく時間というのは明確に分けています。学び方、特にトレーニングの方法は徹底的に教えなきゃいけません。(太線は筆者による)
という具合です。
現場の教員としては、藤原先生の質問、すっごく気になるんですよね。
「週何コマ中どのくらいその方法でやっているのか。」
でも、山本先生のちょっと曖昧さの残る返答もわかるんですよね。笑
実は、厳密な時間って記録できていないんですよね(私の怠慢)
「生徒は生きもの、授業は生もの」というのをいいことに、あまりかっちりと時間を決めずに毎日の授業を行っているのも現実です。
たださすがは山本先生、こういう風に答えて下さっている。
最終的には50分の授業時間のうち、僕は5分ぐらいしかしゃべってないという感じになります。英語は特に、習うより慣れる感覚で口を動かし続けたほうが定着がいいので、たった50分の授業時間のうち30分も教師が話をしていたらもったいないなと思うんです。
うん、頭が痛い ですね(笑)
私の場合、歴史の学習においては、中学・高校を問わず、どうしても歴史のストーリーを教科書の行間を補い、生徒の「歴史っておもしろい!」「ためになる!」に火をつけられるようにしゃべってしまいます。
とはいえ、
出来ない言い訳をする前にやれ
と前職の上司がよく言っていたので(でもこれ大事)、私も少し「教えない授業」のあり方の一つである「学び合い」を授業で導入しています。
学び合い信者ではありませんが、その優れた点は、誰にでもできるような方法・手順が整えられていることです。
そこから考えるに、「教えない授業」のコツは、
①教員が教える部分はきっちり教える
藤原:「教えない授業」というと、すべて教えないと勘違いしちゃう人もいると思いますが、たぶんそうではないでしょう。何も教えなかったら学力は下がるだろうと思う。そうではなくて、きっちり教える部分はちゃんとあるんですね。
歴史の学習でも、やはりその単元の大まかな時代背景や流れの解説は必要です。全部生徒にぶん投げるのは、結果的に自分の首を絞めます笑(確信)
②教えない部分(生徒が自分たちで学ぶ部分)をしぼる
教えない授業の対象となる部分は、
①「習得事項の活用が試される」ところであり、
②「自分たちで細かいこともつかめる」(と思われる)部分でしょう。
この見極めこそ鍵だと思いますね。やはりその範囲を、生徒の到達度に応じて絞るのが必要な教育的配慮でしょう。
(とはいえこちらで生徒の限界を決めるのも申しわけないので、全体像を少し見せたらトライさせてみますが)
③理解し、表現できるかを確認する
教えない部分を絞って,取り組ませた後は、必ず
「理解できているか」と「表現できるか」を確かめる必要が有ります。
これができないまま①と②だけ突っ走ると危険ですね。教育にありがちな「やりっ放し」を教員が率先してはいけないですね笑
必ず授業中に、理解度を測る時間と、その理解を発表する時間が必要だと思います。
(その時間の確保が本当に悩ましい問題なのも事実ですが・・・)
これって、ビジネスでも同じだと思っています。
今振り返ると、前職の上司や先輩で「できる」と言われる人は、
必ず上の①〜③を踏まえていた気がします。
「教えない授業」、高校生の授業でももっとやってみますかね。