担任をもっていると、なかなかほめるところが見つからない生徒が必ずいます。
ほめるところがない生徒はいないのですが、どうしても目立つ子ばかり印象に残るのが人間です。そうでない子は、ほめるところがワンパターンになってしまったり、記憶をさぐってほめるところを探したりします。
面談前になれば、教科担当の先生や、部活顧問の先生に聞きにいったり、とにかく「いいところさがし」、に奔走します。
子育てでも、ビジネスでも、「ほめる」ことの効果が取り上げられています。
Amazonのレビュー評価の高いものを。
となると、教員として、日々の生活の中で即座にその子のことをほめられない状態というのは、あまりよろしくないのかもしれません。
◯ほめるところが見つからないのはなぜ?
という疑問が出たりしまが、こたえを先に言うと、私(担任)の力不足が原因です。
ちょっと強烈な言い方かもしれませんが、
できる先生は、よくほめる先生、ではなく、
「こうすればこの子をほめられる」というシチュエーションを意図的に作り出せる先生ではないでしょうか。
掃除ひとつとってもそう、グループワークでもそう、なんでもよいと思うのです。
「こうすれば今日あいつをほめられる」という仕掛けを講じられる教員が、いいクラスを作ります。
これを積み重ねると、生徒は次第に「この先生といると私はよくほめられる」ということを刷り込まれるようになっていきます。(言い方が悪い)
どの家庭でも、愛情故に子どもには厳しく当たってしまうもの。だから、学校にいる間はなるべくたくさんほめてやる。保護者の方が忙しく、家庭でのやり取りが少ない生徒もいます。
どんなクラスでも、どんな生徒でも、ほめる機会を作り出すことです。
もちろん、あまりに程度の軽いものを大げさにほめると、生徒も「胡散臭い」と思うのですが。笑
そしてほめることの最大の効果は、
ほめられた生徒は、ほめられた自分を肯定します。
これが超重要だと思っています。程度の低いことでほめると逆効果という研究結果もあるそうなので、その見極めが重要ですね。
ちなみに、私の尊敬する先輩教員は、「ほめる」ことのプロですね。
生徒の「はたらき」を純粋に喜び、ほめているんです。その生徒をみつめるまなざしが本当に愛に溢れています。私が人生で出会った中で、あの目をしている人は3人目(かつて見学した特別支援学校の先生、大学の恩師、そしてこの先輩)ですね。
なんというか、慈愛に満ちているというか、「ああ教育者だなあ」というまなざしをしている先生がいるのです。こればかりは形容し難い。
なかなかそうはなれないので、私は「ほめるシチュエーションづくり」をするのですが、ああなりたいなあ、と思わされます。
◯おわりに
①三者面談でもほめることは重要です。
②授業中に「ほめる」を実践した生徒のちょっといい話。
今日はあまりほめられなかった気がするので、明日からまたひとつひとつ。仕掛けづくりを楽しみたいと思います!