やっちゃえ先生探究記

生徒の力が引き出される「学習者中心の学び」をデザインしたい教員です。地道な形成的評価を大切に。

教育困難校で働いている先生方がつぶれないためには?〜先生のダイアリーを読んで〜

anond.hatelabo.jp

今日は書こうと思っていた内容があったのですが、こちらのダイアリーが目に留まり、同じ教員として書かずにはいられなくなりました。

はじめにスタンスを明確にしますが、私は教育困難校で生徒に真摯に向き合い、働いている先生方を尊敬します。本当にすごい。私にはできない!と思ってしまいます。

 

教育困難校の実態に愕然とした

私が勤めているのは首都圏・私立中高一貫校・中堅校。

対してこのダイアリーの先生は地域は不明・公立高校・教育困難校

色々な違いはあるでしょうが、学校による違いも考慮せねばならないので、比較による相対化はあまり意味がないでしょう。

それよりもこの先生の声に耳を傾けなければいけないと思わされます。

実態が赤裸裸に語られていますので、是非読んでみて頂きたいです。

 

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逐一引用はしません。その方が、文章からにじみ出る苦労と、叫びと、いろいろなものをそのまま感じられると思うからです。ただ、最後の文章だけ。

全国、いろんなところにあるらしい教育困難校先生

しんどいですよね。

私は今日は久しぶりに8時に帰れました。

試験期間に入ったからです。

これから1週間で試験を全部で4つ作ります

国語なので、採点も大変です。

しんどいです。

私はもう次年度いっぱいで辞めようと思っています

転勤も、研究発表とかに時間を費やしている器用な人ばかり優遇されて、嫌になったし。

あなた大丈夫ですか。

自分を保ててますか。

 

◯週何時間働いているのだろう。。 

まず、この先生は週何時間勤務されておられるのでしょうか…

こうやって平日の夜にブログを書ける時間と気力が何とかある私ですら、週60時間勤務は平気で超えています。朝は7時半にはデスクにいます。8時からは怒濤です。

それにもかかわらず、こちらの先生は、

月に3・4日しか休めず、猛烈なストレスのかかる環境の中で、「久しぶりに8時に帰れました」とは…もう本当にすごいと思ってしまいます。

こういう仕事をしている人間をもっと大切にする社会にならなければいけないのではないだろうか、地域で支えられないのだろうか、と思ってしまう。

溜めのない状態では、この先生が心配です。

そもそも教員がどれだけ働いているのかは、こちらをご覧下さい。ヤバいです。

www.huffingtonpost.jp

 

◯試験を4つ作るのは、しんどすぎる!!

これは同じ教員だからこそ分かることですが、定期試験を同時に4つは本当にしんどいです。。。。

そもそも、1人の教員が3種類以上の科目を担当する時点で相当しんどいです。

例えば、同じ週15コマの授業担当だとしましょう。しかしながら、内実をみると全く業務負荷が異なることがあります。

① 科目A (3コマ3クラス)+ 科目B(2コマ3クラス)

② 科目A (3コマ2クラス)+ 科目B(2コマ2クラス)

+ 科目C(3コマ1クラス)+ 科目D(2コマ1クラス)

どちらが準備や試験作成、担当教員間のすり合せ等含めて大変かは一目瞭然でしょう。

②では教員がつぶれます。

少なくとも、1コマ1コマ、もっと言うなれば5分・10分単位での「学びの設計」はできません。

でも、ダイアリーの先生はきっと、この②のような状況でしょうか。クラス数が少なく、担当者が1人であれば、1人で4種類の試験作成が必要になるでしょう。

とにかく、進学校であろうと、教育困難校であろうと、これは相当負荷が高いです。

 

◯困難校こそ「学びの設計」が必要なのではないか

教えるだけの教員は、もう技術革新によって不要になる未来が見えています。(少なくとも私はそれくらいの危機感をもっています)

であれば、

教員として何が大切かというと、「場」の価値を最大化すること。

つまり、「場」における学びの設計ができること。だと考えます。

この「学びの設計」(授業時間を分単位・生徒単位でオーガナイズすること)には、準備が必要です。

生徒の学びに対する意欲が低いであろう困難校こそ、この視点が必要なのに、全く出来る環境ではないことが伝わってきました。

これは、先生のせいでしょうか?

 

◯おわりに

私は私で、思春期反抗期の生徒に手を焼いていますが、この先生の比ではありません。こちらの学びの設計に応えてくれる中学生と高校生がいる。

これは私の考えですが、ただただ、私はラッキーだと思います。

ラッキーな環境に運良く置かれた人間こそ、

その分、猛烈に努力しなければなりません

それだけの社会的責任があると大げさに言えば思っています。

それだけ、価値のある、重くて、でもこの上ない仕事だと信じ、明日も頑張ります。