どうなんでしょう。センター試験に代わる大学入試改革案が出ましたが、私はあまり納得していません。特に英語。その納得いかなさをシミュレーションして検証したので、ぜひ読んで頂きたいのです。
民間の検定のみで試験を行う英語
英語は検定試験を活用して「読む・聞く」に加え「書く・話す」力も評価する。
ここまでは分かります。使える英語へのシフトです。
でも、これには違和感。
英検やTOEICなどから水準を満たしていると判断したものを大学入試センターが「認定試験」に選ぶ。高校三年の四~十二月に二回まで受験可能とし、結果と共に語学力の国際標準規格「CEFR(セファール)」に基づいた段階別成績を大学に提供する。
「小さな政府」の発想で、民間に任せるのでしょうか。
ある先生がおっしゃっている指摘がごもっともです。受験という社会システムに対する指摘です。
外部試験の受験費用はどうするのか。そして、TOEICなどの受験は意外と会場が限られていることや受験料が非常に高額であることをどう考えるのか。
もっと厳しく批判されていいことだと思うのだけど……。
大臣はこう言っている
きっと、英語受験の外部委託に対して、批判が出ることは承知の上だったのでしょう。
松野博一文科相は検定試験について「経済状況や居住地に関係なく同じ受験機会が得られることが重要だ」として実施団体に協力を求める考えを示した
先にこういうコメントを出しておいて、後から物事を変える。
「ってことだから、わかるよね、しっかり協力してよね」という大日本忖度社会の物事の進め方でしょうか。言っていることはその通りです。
でも、実際協力するのは実施団体側です。特に今回は、学校内受験が英検に比べて根付いていないTOEICで考えてみます。
どれくらいの「協力」が必要なのか?
調べてみました。教員なので、試験運営の厳しさと緊張感はそれなりにわかっているつもりです。どれくらい気合い入れた「協力」が必要なのでしょうか。ということでここで問題。
センター試験の会場って全国でいくつあると思いますか?
受験機会均等を実現するには、どれくらいの会場数が必要か、を知るためです。
昨年度で全国693箇所*1です。
となれば、TOEICにもそれくらいの地域をカバーする機会均等を求める、ということなのでしょう。
ここで注意したいことが3点あります。
①今回の改革案で、英語の外部試験受験については
高校三年の四~十二月に二回まで受験可能
という時期と回数の期限があること。
②スコア上昇を考えれば2回とも同じ試験を選ぶ、ということ。
例えば、あえて1回目は英検、2回目はTOEICを選ぶ受験生は少ないと考えられます。
③2回目の試験はおそらく12月に集中するであろう、ということ。
自分が受験生だったら間違いなくそうするでしょう。特にTOEICは自分の感覚でもそうですが、何回か受けて試験のコツをつかむだけで数十点あがる、という試験特性の強い試験だと感じています。ならば、なるべく準備期間は長くとりたいもの。
したがって、
高3の4月~12月に、自分の住んでいる都道府県で、TOEICが2回受験でき、2回目は12月に近い時期に受験できれば、現状のセンター試験と同程度の受験機会が確保されている、
ということができるでしょうか。
では実際TOEIC受験はどうなっているのか?
中国地方でシミュレーションしてみました。特に注目していただきたいのは2段目の島根です。島根県はセンター試験に関していえば、4箇所、3000人弱の受験者がいます。
TOEICを該当期間に受験できるのは2回だけです。
しかも、5月→9月の2回。
島根県の受験生がTOEICを利用しようとしたときに、機会自体が2回しかない。
しかも、9月以降は島根県内で受験できない、ということになります。
となれば、当然隣県などに受験に向かうことになるでしょう。
それは果たして、「共通大学入試」として公正でしょうか。
受験対策が塾などに依存してしまう懸念や
受験対策・実受験費用の負担感への懸念もあることながら、この状態を、センター試験並みに整える、というのは相当な「協力」が求められるでしょう。
「そういう人はTOEICじゃない方法を選べばいい」という指摘は、受験機会の公正性の観点から全くあてはまりません。すべての受験生に実質的な機会の平等を担保できなければ、何のための選抜制度でしょうか。
おわりに:浪人生は?
「浪人生は別途検討する。」*2
……。浪人してTOEIC専門予備校でゴリゴリに対策して夏までに900点近く叩き出してから、他教科を追い込む…という戦略もありになるのでしょうか…?