やっちゃえ先生探究記

生徒の力が引き出される「学習者中心の学び」をデザインしたい教員です。地道な形成的評価を大切に。

授業中に寝る生徒を起こす?起こさない?~今日はお悩み暴露会~

勉強中疲れて寝てしまった受験生

結論から言うが、寝させたら負けだと思っている。

(皆さんのブログを拝見して、「です・ます調」よりも「だ・である」調の方が頭に入ってきやすいと今更気付いたので、今日は後者でいきます←あ)

保護者会にて…

 春~夏にかけてほとんどの学校で保護者会が開かれる。

そこで保護者Aさんから出た「やっちゃえ先生は寝てる子にも必ず声をかけるって聞きましたけど、素晴らしいですね~」という言葉。

当然、ほかの保護者から「エ!?それって普通じゃないんですか?」と反応があるが、その保護者Aさんは上の兄弟も本校に通っていたため、学校の文化をよく知っているからか、こう返す。

保護者Aさん「いやいや、この学校の先生は起こしたりしない人が多いですよ!

というやりとりだ。

起こす/起こさないのジレンマ

これはどの学校でも、どの教員でも直面することだろう。

もし自分が教員だったら、どうするだろうか?

私の感覚では、39人がばっちり参加していても、1人寝てしまったら、負け。

授業で勝負する教員として寝させてしまったら負けだ。

本気でそう思っているし、寝させてしまう自分の実力不足が情けない。

教室では優しい言葉や、配慮ある言葉をかけるようにするが、授業後自分のデスクに戻ったら、「くっそ~~~」と悔しさが押し寄せる。

次こそは…!と思い、どうすれば「あの子」が楽しく参加できるか、を考えつつ、”参加はするけど学びなし”にならないような学びの設計を、考える。

起こさなくっていいんじゃない?という主張

もちろん、生徒によってどうしても前日の睡眠時間が短かったり、体調に問題があったり、悩みを抱えていたり、と授業に臨むコンディションが整わないことはある。

その先に「寝る」が待っていることもわかる。

放っておけば、支障なく進むし、

起きていなかった自己責任を問うことができるので、放っておけばいい、という主張も納得いく。そのほうが楽だ。

が、生徒が「寝てしまう」ことと、教員が「寝る生徒」を放置することを同一視してはいけない、と私は思う。

なぜ寝る生徒を放置できないか?

私は「寝てもいい授業=軽視していい授業」だと思っている。

その構図を教員が黙認してはいけない、というより、私は黙認できない。

その程度の授業しか準備できない自分を嘆きつつも、起こして嫌われようが何だろうが、教育者として「1度はチャンスを与える」姿勢は示すべきだと思っている。

(私1人が自分に対して「そうすべき」と思っているだけなのだが)

というか、寝てしまっている生徒を黙認し続けると、だんだん「寝てもいいや」という空気が教室に充満する。

「あの先生は寝ても注意しない」というのは、やさしさの代名詞ではなく、自分の授業をおろそかにしているだけだ。

「自分が本気で大切にしているものを、自分で軽視する」というのは自分の価値を貶めることにならないだろうか。そうして、現状に甘んじていく。私はそうなるのが怖い。

結局は自分のため…か?

こうして書いてみると、なんだか自分のために起こしているような気がしてきた。

そうなると生徒にとってははた迷惑な話なのだろうか。

でも、「学習機会」を担保すること、を教員が授業でおろそかにしてはいけない、と思ってしまうのだ。

こんな私は堅苦しくて時代錯誤なのだろうか。

同僚から「いい人」と言われたが、果たして「いい人」なのだろうか。何というか、自分の授業ってそんなもんなんだろうか。

幸い生徒に恵まれて寝てしまったりする生徒は限りなく少ないのだが、なんとも言えない気持ちで月曜日を終えた…