国であれ、組織であれ、トップに立つ者には度量が必要だろう。
都議会選の自民党敗北から、自民党がどう巻き返すのか、が次の国政選挙までに試される。先日の前川元文科省事務次官の国会招致は、今まであれだけNOと言っていたのに、都議会戦の結果を受けて、まさに「手のひら返し」だった。
手のひら返しをしたから駄目だ、というつもりはないが、トップの意向の大きさは計り知れない。トップ、リーダーとはどんな人がふさわしいだろう?
リーダーの条件、1つだけあげるなら?
私はやはり「度量」だと思う。学校でも、企業でも、どんな組織でも信頼され、安心し、一緒に貢献する仲間のパフォーマンスを発揮させるリーダーは「度量」がある。
以前、自分の担当していたクラスの学級委員であうる生徒がこんなことを言った。
私は皆に信頼されるリーダーじゃなくて、皆を信頼するリーダーになりたい。
こんな名言があるだろうか。私は今でも情景とともにはっきりと思い出せるくらい、その生徒の言葉、そしてこれを受けた仲間の生徒たちの表情を覚えている。
これが、「度量」だ、と感じた。政治の話に戻してみよう。
複雑なものを、複雑なままとらえる
ブログ界ではPV数のこともあるからか、はっきりとした物言いが好まれる。
が、ここではそういう物言いはしない。世の中は複雑である。
”複雑なものを複雑なままとらえる、という社会認識から平和の担い人を育てる”ために、粘り強さを養おうとしている社会科教育者のはしくれとしても、「○○だからダメだ」なんていうことはいうことはできない。
※このあたりに興味がある方は内田義彦先生の本をぜひぜひ。
だから、自民党のすべてが悪い、とは思わない。安倍さんのすべてが悪いとも思わない。目指す方向の違いはあれど、国をなんとかしよう、という公益性への使命があるからだ。
(これを祖父・岸信介のなしとげられなかった改憲という野望・ある種の私怨を果たすために安倍さんが今そういう方向に突き進んでいるなら問題と思うが)
キレた安倍首相「こんな人たち」発言に菅長官「まったく問題ない」 - NAVER まとめ
この件については、もういろいろと批判も擁護もそれなりに出ている。
だから、ここでは度量とは何か、を示すエピソードをもう1つ紹介したい。
オバマが示した「度量」
「みんなの大統領になる」
2008年の米大統領選で、共和党のマケイン候補と激しい選挙戦を戦った民主党オバマ候補は、勝利が決まった後の演説で、マケイン氏を称え、こう語った。
〈私がまだ支持を得られていない皆さんにも申し上げたい。今夜は皆さんの票を得られなかったかもしれませんが、私には、皆さんの声も聞こえています。私は、皆さんの助けが必要なのです。私はみなさんの大統領にも、なるつもりです〉(加藤祐子訳。太青字は筆者)
おわりに
歴史をひもとけば、こういった度量を示した国のリーダーはまだまだいる。
個人的に推したいのは、1589年のナントの勅令を出したフランス国王アンリ4世だが、ちょっと字数がかさむのでここでは割愛。 ナントの王令(勅令)
もちろん、これはこれで宗教を冒涜している、とか言われたり、一時休戦にすぎない、という批判がアンリ4世にはある。
それでも、「度量」を示したリーダーは世界にたくさんいる。
2020年まで、日本の政治がどういう方向へ行くのか、安倍首相の支持率が下がっている中で、野党がどういう「度量」を示せるか、こそ私は重要だと感じている。