いやあ、すごい本だ。読みはじめたが面白い。
学習する学校――子ども・教員・親・地域で未来の学びを創造する
- 作者: ピーター M センゲ,ネルダキャンブロン=マッケイブ,ティモシールカス,ブライアンスミス,ジャニスダットン,アートクライナー,リヒテルズ直子
- 出版社/メーカー: 英治出版
- 発売日: 2014/01/30
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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900ページ弱の大作。ぱっと見て書店で度肝を抜かれたが、読みはじめたらスイスイと読んでいけるのは、原書もさることながら、翻訳のわかりやすさゆえだろう。
内容のレビューを少しずつ書いていきたい(授業が始まる前の教員はいつだって意欲満点)が、その前にひとつだけ強調しておきたい。
分厚さが半端じゃない!!
おわかりいただけるだろうか…?
ちなみに、写真の下に写っているのは岩波新書(約220ページ)。
だから、その見た目の破壊力というか威力はすごい(笑)
ただ、著者もこの分厚さと見た目の威力に読者が引かないように目次やレイアウトを工夫している。
本書の構成は以下の通りだ。
- スタート 1・2章
- 第1部 教室 3~7章
- 第2部 学校 8~12章
- 第3部 コミュニティ 13~16章
4部・16章構成になっている。
1章あたりのページ数で考えると単純計算で900ページ÷16章=56ページ。
こんな計算をするのは、デカルトの「困難は分割せよ」という教えがあるからだ。そう考えると、読むハードルがグッとさがる…はず!
※こんな記事もあったので気になる方はどうぞ。
デカルトは「困難を分割せよ」と言い、ビル・ゲイツは「問題を切り分けろ」と言った
ということで内容について少しずつ書き留めておきたい。
第1章がさっそく刺さる!!
第1章の感想は要約するとこんな感じだ。
Twitter等に吐き散らされている教育の様々な呪詛の類について、明快に、かつ体系的に、そして何より「上品に」指摘してくれていて、もはや恍惚すら覚える『学習する学校』であった…(まだ1/10) pic.twitter.com/E7UlgMg3kS
— やっちゃえ先生@2年担任 (@Yacchaee) 2018年1月4日
筆者はMITの経営大学院の教授であり、アメリカの教育をとりまく社会的背景について言及が多いのだが、「あれ、筆者日本に住んでるんだっけ?」と錯覚を覚えるほど日米の状況は酷似しているように感じた。
例えば、筆者の現状認識である「産業化時代の学習についての考え方」をまとめると、こんな内容が挙げられている。
あなたは、「学習」をこういうものだと思っていないだろうか?
- 子どもは「欠陥品」であり、学校は子どもを「修理」する
- 学習は頭の中で起きるもので、身体全体で起きるものではない
- 誰もが同じ方法で学ぶ、または学ばねばならない
- 学習は教室の中で行われ、世界で行われるものではない
- 「できる子」と「できない子」がいる
いかがだろうか?
自分はそんな見方をしていないと思うアナタに
「いやいや、そんな時代遅れなモノの見方してないっすよ!」と思うかもしれないが、筆者はこう言っている。
「産業化時代の考え方は、たいていの教育者が合意しないだろうことを断っておく。(中略)保護者もこうした考え方に抵抗する。それなのにシステムはこうした考え方を自ら体現しているかのようだ。あらゆる人は、本当は違う行為をしたいと思っていてもそうした考え方が正しいかのように行動する。」
ギクリ!としますよね。特にこんな分厚い本を読もうとする教育者の多くは、熱意と実力のある教員でしょう。(自分棚上げポイー)
でもそうした教員が頭では否定しようとしても、実際にのっかってしまっているシステムのあり方を淡々と指摘する。
産業化時代の学校像は?
先に紹介したのは産業化時代の「学習」像だったが、その学習を支える学校像についても紹介されている。
- 学校は管理を維持する専門家によって運営される
- 知識は本質的にバラバラに分節化される
- 学校は「真実」を伝達する
- 学習は個人的なもので、競争が学習を加速する
1~4の各学校像に対する言及から、刺さった言葉をあげてみよう。
教員たちは完全に孤立した状態で仕事をしており、彼らほど個人主義的な専門職はほかにほとんど見当たらない。
⇒うへえ。中高一貫から高校に移ってきてますますそう感じておりました笑
生徒会すら、大人の見張りのもとに行われる無意味な慣用句のような存在だ。
⇒うへえ。これはぐうの音もでないっす。アメリカでもそうなの?
知識をバラバラの分野に分類したアカデミックな理論からは、生命が持つ相互依存的な性質が見えない。
⇒うへえ。教科の専門性をやたら大事にするがあまり、「あの教科の教員は物分かりが悪い」なんてやっているどこぞの学校の先生、聞いてますか。ブーメラン
通知表の成績が在学中も大学進学にも重要な役割を果たすことを心にしっかり刷り込まれていることには一切頓着せず、「生徒たちは点数ばかりを気にする」と嘆く教員は多い。
⇒もうなにも言うまい…。自分がすべて当てはまるとは言わないが、わかっていてものっかってしまう仕組みの問題点を淡々と指摘されていた気分だ。
真顔で、あたたかい。改革の書
最後に、強調しておきたいが、決して研究者達が現場や教育界を断罪する本ではない。むしろ逆だ。
現場のことを良く理解しているからこそ、教員をはじめとする教育関係者の現場の目線で語られていく。
しかも、それが建前レベルでとどまるのではなく、成長しようとする教員や、学校を変えていこうとする教員が一度は思うことをベースに語られていく。まだ序盤しか読めていないけれど、それがこの本の良さだろう。
そして最大の特徴は、本書のタイトル通り、学校を「学習する生きた社会システム」ととらえ、さまざまな関係性の中で動く共同体〈コミュニティ〉ととらえていることだ。
文字にすると当たり前のようだが、そう感じられないのが学校という組織でもある。そんな教育関係者のモヤモヤに、真摯に寄り添ってくれる期待感がスゴイ!
具体的な改革のTipsや理論はこのあとの章で語られていくが、続きを読むのが最高の楽しみである。ああ、ありがたき冬休み。(胸のタイマー点滅)
【続編②〜⑤を書きました!】