やっちゃえ先生探究記

生徒の力が引き出される「学習者中心の学び」をデザインしたい教員です。地道な形成的評価を大切に。

【書評】『学習する学校』④正直に感想を言おう。~第8-12章:本気で学校を変えたいなら…?~

学習する学校――子ども・教員・親・地域で未来の学びを創造する

21世紀の「教育改革のバイブル」、後半を読み進めています。

今まで書いた書評記事も、章立てに合わせて貼っておきます。

  • スタート 1・2章

【書評】『学習する学校』①全おとな必読の第1章~産業化時代の教育システムとは?~

【書評】『学習する学校』②教育を変える5つのメソッドとは?~第2章:100年の研究が教える方法~

  • 第1部 教室 3~7章

【書評】『学習する学校』③まず教室で何ができる!?~第3~7章:選りすぐりの実践がズラリ~

  • 第2部 学校 8~12章 ←本記事はココ
  • 第3部 コミュニティ 13~16章

さて、今日は第2部の学校編です。

ここまで、従来の教育観や問題点を認識し、それを変えていく理論である5つのディシプリンをふまえた上で、まず教室で何ができるか、どんな実践がなさてきたか?をみてきました。

第2部は、それを「学校」レベルで実現することを目指して書かれています。

 『学習する学校』をいかにしてつくっていくか?

読み終えて思うことをあえて一文で表現するとしたら、

組織は中から生まれ変わるしかない、ということだ。

いくら外から外部講師を招いて研修をしても、校長が外部メンターを用意して変革の戦略を立てても、最後は中から変わるしかない。

それが最も効率的で効果的だ、ということがこれでもかと記されている。

学校組織でなくても、組織というものは常にそういう存在だろう。

しかし、当然「そんなことは分かってるんだよ…」という学校現場の声を本書はきちんと汲み取ってくれる。言いっぱなしにはしない。

学校特有の、つまづき方がある

組織が「停滞」してしまうのは、

ビジョンを描こうとしても、シニシズム(冷笑)の文化があり、リーダー的な人物に不満を言って終わりにしてしまう、という要因があることを指摘している。

要は、口だけマンがいっぱいいるのだ。あなたの職場にもきっといるだろう。

本書でも紹介される5つのディシプリンの中で「共有ビジョン」というものがあるが、

これがなぜ学校現場で持てないか、ということも掘り下げて語られる。

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学習する組織の5つのディスプリン – 熊平美香 公式サイト

細かい引用はやめて、思っていることを書こう

ここで、該当する箇所を引用して記事を書くこともできるが、700ページ弱を読んできて、思っていることを書いておこう。

正直に言って、この本を読んで学校が劇的に変わることは想像できない。

ここまで書評を書いてきたけど、別に『学習する学校』をブログで紹介して収入を…、という趣旨で書いていないからいいだろう。

もちろん、内容自体は、「自分がえらくなれたら、こういうリーダーになりたい、こういう学校を作りたい」と思わせるようなものだが、

現状を打破するほどのモチベーションを与えるかというと、素直にうなづけない。

なぜなら、

学校という組織は、どうしても年長者の存在感、影響力が大きいからだ。

大企業から転職して思うことは、1つの「学校」に100人教職員がいたら多い、という程度の組織にもかかわらず、意思決定への影響力は圧倒的に年長者が持っているからだ。

企業ならば、部署ごとにやっていることがかなり違い、専門的知識を必要としたりして、隣の人がやっている仕事がよくわからないことも、よくある。

そうなると、言い方は悪いが、「成果」で年齢を容易に超えていくことができる。

だが、学校ではそれができない。

教員のやる仕事は、授業を除いた校務・事務は大体想像のつく仕事ばかりだ。

そうなると、年齢・経験がモノを言ってくる。

授業でいくら支持されていても、仕事ができる先生でも、年齢を超えていくことは簡単ではない。

すごく悲しいけれど、政治的な駆け引きというか、パワーバランスを見てうまくやらなければ、いくら優れた先生も「変わり者」として冷笑される、悲しい構造がある。

特に私立学校では、その学校の生き字引な教員がのさばっている。

たしかに、年長者でも、自分たちの学校組織や教育の在り方、授業の在り方を絶えず問い直し、自分を塗り替えることをいとわない素晴らしい先生もいる。

しかし。

残念ながらそれとは正反対の教員も存在する。

100名程度の教職員しかいない、専任だけでいえばもっと少ないのだから、1人1人の知恵、情熱を結集するしかないのに、なぜかそれができない。

職場に新しく入る若者の可能性を引き出そうとすらしない年長者は、本当に教育者と呼べるだろうか。

皮肉なことに、学校は「教員が互いに無関心」でいられる職場だ

「生徒」という仲介人がいて、教員はつながることができる。

高校になると、プチ専門家の自負のある先生も多いので、なおさらだ。自分の専門領域をきちんとやっているんだから、いいだろう、てな具合。

参考になることはいっぱい書いてあるんだよ…

書評①②③で書いてきたように、参考になるページは確かに多い。

実際、今日書いたような思いをどう解決していけばいいか、体系的に、理論的に、そして実践例が紹介されている。

とっかかりはいっぱい紹介してくれる本。そこは間違いない。

が、今回の記事も、同じように書こうと思っていたけれど、今しか書けないことを書いておきたかったのです。

この本を教員全体が読んで立ち向かう、くらいの大きな危機に学校が直面しなければ、定型業務に流されてしまうのだろう、という虚無感にさいなまれるのはなぜだろう。

わかってきたことは、

そんな学校現場であがいている教員に向けて、この本は書かれている。

と思っていたが、そうではない。

現場のあがきを知りながら、現状維持もいけないとわかっていながら、でもどうしたらいいかわからない、学校の年長者に向けてかかれた本なのかもしれない。

学習する学校――子ども・教員・親・地域で未来の学びを創造する

学習する学校――子ども・教員・親・地域で未来の学びを創造する

  • 作者: ピーター M センゲ,ネルダキャンブロン=マッケイブ,ティモシールカス,ブライアンスミス,ジャニスダットン,アートクライナー,リヒテルズ直子
  • 出版社/メーカー: 英治出版
  • 発売日: 2014/01/30
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
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 が、この本がその人の手に取られることはあるのだろうか。

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www.yacchaesensei.com