3月、必ず思い出すメッセージ
卒業シーズン。「卒業」と聞くと私にはこのメッセージが思い出されます。
卒業式を中止した立教新座高校3年生諸君へ。(校長メッセージ) | 立教新座中学校・高等学校
2011年3月、東日本大震災の直後。
卒業式を中止せざるをえなくなった、立教新座中学校・高等学校の渡辺憲司校長が出したメッセージは、SNS等で1日約30万pvを記録するなど、大きな反響を呼びました。
精神科医の香山リカさんとの対談も面白い記事で、メッセージの要旨が語られています。
「海を見よ」というのは私の持論で、大学というのは勉強も大切だが、自らの時間を管理する自由こそが重要で、これまでの生涯も、これから先も決して得られない唯一無二のものだ。これを大切にせよ、ということなのです。
私も本当にこのメッセージに共感し、卒業生にこれを読んでごらん、と記事を共有したりしています。
今年も、生徒から「今読めて本当によかったです」とコメントがありました。
私のつたない解説よりも、先生のメッセージを引用します。
「時間を自分が管理できる煌めきの時」
大学に行くとは、「海を見る自由」を得るためなのではないか。
言葉を変えるならば、「立ち止まる自由」を得るためではないかと思う。現実を直視する自由だと言い換えてもいい。
中学・高校時代。君らに時間を制御する自由はなかった。遅刻・欠席は学校という名の下で管理された。又、それは保護者の下で管理されていた。諸君は管理されていたのだ。
大学を出て、就職したとしても、その構図は変わりない。無断欠席など、会社で許されるはずがない。高校時代も、又会社に勤めても時間を管理するのは、自分ではなく他者なのだ。それは、家庭を持っても変わらない。愛する人を持っても、それは変わらない。愛する人は、愛している人の時間を管理する。
大学という青春の時間は、時間を自分が管理できる煌めきの時なのだ。
男子校・キリスト教主義(+立教の精神)だからこそ発せるメッセージ、という点もあると思いますが、普遍性のある、そして力のあるスピーチです。
しかも、3.11の直後、卒業式を中止せざるを得なかった状況で、です。
私はこの最後のメッセージが大好きです。
時に、孤独を直視せよ。海原の前に一人立て。自分の夢が何であるか。海に向かって問え。青春とは、孤独を直視することなのだ。直視の自由を得ることなのだ。大学に行くということの豊潤さを、自由の時に変えるのだ。自己が管理する時間を、ダイナミックに手中におさめよ。流れに任せて、時間の空費にうつつを抜かすな。
いかなる困難に出会おうとも、自己を直視すること以外に道はない。
いかに悲しみの涙の淵に沈もうとも、それを直視することの他に我々にすべはない。
海を見つめ。大海に出よ。嵐にたけり狂っていても海に出よ。
真っ正直に生きよ。くそまじめな男になれ。一途な男になれ。貧しさを恐れるな。男たちよ。船出の時が来たのだ。思い出に沈殿するな。未来に向かえ。別れのカウントダウンが始まった。忘れようとしても忘れえぬであろう大震災の時のこの卒業の時を忘れるな。
鎮魂の黒き喪章を胸に、今は真っ白の帆を上げる時なのだ。愛される存在から愛する存在に変われ。愛に受け身はない。
教職員一同とともに、諸君等のために真理への船出に高らかに銅鑼を鳴らそう。
「真理はあなたたちを自由にする」(Η ΑΛΗΘΕΙΑ ΕΛΕΥΘΕΡΩΣΕΙ ΥΜΑΣ ヘー アレーテイア エレウテローセイ ヒュマース)・ヨハネによる福音書8:32
拙い解説はいらないですよね。
新しい世界へ踏み出すあなたに贈る言葉
ちなみに、別記事ですがこちらは、新しい世界へ踏み出す人へ贈った言葉。
これから新生活を始める人たちに向けて贈る言葉とは? 渡辺さんに二つを挙げてもらいました。
「拠り所がない自由などあり得ない。凧は糸とつながることで初めて自由を得る」
自分を縛るものを大切にしてほしい。恋人だったり仕事だったり、人生そのときどきで違うと思う。自分の命を投げ出しても守りたいもの、それこそが自分を自由にしてくれる
「恋愛は偶然にも出会うもの。しかし友情は違う。その出会いに偶然性はない」
恋人と友人は違う。恋愛は「性」が媒介する理性を超えた関係だ。結婚は喜びや悲しみ、貧しさをも共有しなければならない関係だ。一方で、友人は互いに孤独の時間を共有できる、理性と理性で付き合っていく関係だ。価値観が同じ仲間が集まったからといって、それは友人ではない。友情を築くとは、自分にないものを求める知的な作業。自らが選び取っていってほしい
渡辺先生の「いま」
もともと先生は日本文学の研究者で、「遊郭」がご専門の大学教授。
現在は特色ある一貫教育を実践されている自由学園の最高学部(大学部)に所属されています。
就任されてからブログも執筆されています。
昨年度の卒業礼拝のことばは松尾芭蕉の句と「送り火」、震災の記憶を重ねて旅立つ学生を送り出しています。
あなた方を育んだものは、学びの園の心地よいみどりの風ばかりではありません。
祝意を込めて言いましょう。同じ悲しみが友を生んだのです。
同悲は同窓の希望の埋み火です。昇華し行く手を照らすかがり火です。神共にいまして、行く道を守らんことを。
旅立つ諸君に大いなる幸あらんことを祈ります。第63回 2017年卒業礼拝 「埋み火」 – 自由学園最高学部|一貫教育の【自由学園】最高学部(大学部)|最先端の大学教育
全文ご覧いただくとよりメッセージが強調されます。本当に素敵です。
労働者であると同時に教育者であることから教員は逃れられません。
真似することはできませんが、教育者として、あるいは組織のリーダーとして、このようなメッセージを発することができるのは、教員自身が学び続けているからに他ならないでしょう…
せめてその姿勢だけでも、ずっと持ち続けていたいと思う卒業シーズンでした。