明日から社会復帰、なのですが、このGWはゆっくりと今後の授業構想を練ることもできました。そこで思ったことを備忘録としてまとめておきます。
探究型学習の実践をふりかえると
ここ2年間くらい、授業内で探究学習と称して、試行錯誤しながら授業を展開してきました。
当ブログの記事ではコレ↓が一番まとまっている実践報告です。
細かい実践報告は過去記事に任せますが、思い返してみても、
既存の「学習」の定義からすると「できないヤツ」扱いされる生徒が意気揚々と取り組んでいて本当に嬉しかったです。成果も出してくれました。
だから、コーディネートする教員側として探究の意義を見失ったわけではありません。
むしろ、やっぱり探究型の学びの価値を再認識しました。
探究っぽい学習でいいのか…?
ただ、価値を再認識した反面、同時に自分の授業の限界を感じました。
つまり、コレってホンモノの探究って言えなくないか?という問いが自分の中で大きくなっていきました。
例えば、この探究学習の基本ステップ(出典)で見ると、
最初の3ステップが昨年度の限界でした。
もう少し正確にいうと、3.5ステップくらいまでしかできなかった。つまり、
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《課題発見》自分の問題意識・興味関心を深められる探究課題を決める
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《情報収集》その課題の現状を調べる
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《整理・分析》原因分析・先行事例分析・仮説の構築を行う
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《分析〜解決策》仮説を裏付けるための論証を行う
ここまででした。
授業のコアに据えたので、ここまでに8時間程度は授業で時間を割きました。
しかし、最終的に授業全体を終えて、まあ反省点ばかりが出るわ出るわです。
先行研究を調べていると、「こんなんじゃ探究学習って言えないよなあ」と自分の無力さに呆然としました。論文あるあるです(笑)
自分の実践の最後にある「論証」も、1人で40人の個人・グループワークを指導するのが難しいのは当然で、引用の仕方や調査のステップなどには目をつむり、求める成果物のハードルもかなり低くしてしまいました。
成果物のハードル、とか言っている時点で、探究の意義を損ねていますね。笑
相当教員にとってはタフな授業設計だったのだけれど、中には、「一斉授業なしで図書館に生徒を詰め込んで学ばせるとか教員の怠慢だ」とアンケートに辛辣な言葉を書いてきた生徒もいます。
「一斉授業させてくれたらどれだけ楽か!」と言いたいのを我慢してそれぞれの学びのサポートをしていたので、ガックリきましたね(笑)
“できる”生徒の方が意外と保守的だったりするのです。
でも、そう思わせたのなら、やっぱりこちらにも何か改善できる点があるはず。
じゃあ、ここから今年度はどうするか?
先ほどの図の、後半3ステップですね。ここまでやりたい。
先の辛辣なコメントも、「“学び”とは教員が学ぶべき内容を準備し、生徒はそれを与えられる」という感覚が抜けきっていない現れ、と考えると、
探究学習の最終ステップまでやりきることで、学習観の転換を生徒に(お題目ではなく実感として)もたらすことができるのではないでしょうか。
このステップをやりきることは、豊福さんが普段から主張されている「学習の社会化」に通ずるものだと思っています。
苫野さんとは違って、僕が学習の【個別化・協働化】にあえて【社会化】を加えているのは、学習成果のアウトプットが常に社会につながっていることを意識化しないと強い動機づけにならないから。
— 豊福晋平(GLOCOM) (@stoyofuku) 2018年2月14日
高校生って、チャンスがある
高校生対象のコンテストやイベントって結構あるんですよね。
公民科という特性も味方して、こういった企画を目標に生徒の探究的な学びを授業でサポートできれば、と思っています。
部活動や受験などで忙しい高校生活なのはわかるのだけれど、今後のポートフォリオ型入試などを踏まえた大学入試の方向性も考えれば、授業内で「学びの社会化」を実現する場を作らない理由はありません。
(参考)広尾学園が「ポートフォリオ教育」を行う理由 - EducationTomorrow
実際に取り組む予定なのは、
政治分野では新聞投書
経済分野ではコンテスト参加です。
前者はすでに動かしていますが、後者を授業で扱えるのは夏休み明けかな…
あすこまさんの新聞投書教育実践の記録は本当に参考になりますので是非どうぞ。
こうして中期的な視点で授業構想している時は本当に幸せですね(笑)
明日からまた再稼働、頑張りましょう。
※「学びの社会化」は溝上先生のトランジション調査とも関連させて捉えたい。