ようやく1学期に終わりを告げられる気配がして来ました。
まだ面談に部活に諸々あるけれど、とりあえず目先のことに終わりが見えて来たことが何より安心。そしてもう一つ嬉しいこと。
生徒とじっくり向き合う
部活動がその時間をとれない主原因とは言い切れないけれど、とにかく今の自分にとってはようやくこの時間が取れたことが嬉しい。
幸いにも生徒と教員の距離が近いこともあって、いろいろな生徒がいろいろな話をもってきてくれる。この最も大事な時間が十分に取れなくなって、教員の一番おいしいところを味わえていなかった6,7月でした。
AO入試の出願を見据えて…
3年生の動きが本格化している中で、会ってじっくり話をして掘り下げる手伝いをすることが一番大事。
自分の勤務校はAO入試などの推薦入試で大学進学を考える生徒が多いからなおさらそう感じるのかもしれないけれど、去年の9月に書いたこの記事の方向性は間違いじゃないと思います。割と時間をかけた記事です。早稲田の政経も一般入試の人数を減らしましたよね…。
こういうところを塾にとって代わられてしまっていては、教員批判や学校批判に対しても、やはり立つ瀬がないと思ってしまう。
何を見られているか?
わずかな民間企業経験で徹底的に叩き込まれて感謝していることの一つが、問題定式化力。
AO入試の志望理由書とか小論文で見られているのも、問題意識や問題解決力というより、勝手な表現を使わせてもらうと問題定式化力だと思っています。
いかに理想と現実のギャップから、問題を導くか。
理想の描き方、現実の切り取り方は人によって異なるからこそ、どういう理想像と現実認識をもっているかが見たい。
そこが自分の言葉で語れなければ、手垢のついた「問題」しか提示されず、いわゆる借り物の言葉、他人事の問題意識になってしまうと思っています。
生徒が陥ってしまう、罠
しかし、生徒の多くは「問題意識」をアピールしなきゃ!という呪縛から逃れられない。なぜそれが問題か、ではなく、問題がどうなっているか、どう解決するか、という方向に走ってしまいがち。
それゆえ、「問題」の説明を始めちゃったり、
漠然とした解決策や、義務感から理想の未来像ばかり語ってしまう。
それでもいいけれど、大事なのは
問題がいかに「問題」であるか、
自身の認識を言葉で伝えること。
昔の上司がよく穴掘りにたとえていたっけな。
ビジネスは穴掘り。いかに穴の多種多彩な掘り方を提案できるアイディアマンがいても、穴を掘りすすめる力がある人間がいても、そもそも掘る場所が違えば、ただの無駄。どこに穴を掘るか、が最も大事なことだ。
掘るべき穴をいかに見定めるか、こそ、AO入試や志望理由書の鍵でしょうか。
おわりに
①ちょっとだけ忙しい時の方が合間をぬってブログを書こうと思う現象に誰か名前をつけてください。
②学習指導要領解説が今日告知されましたね…読まなきゃ。
③国公立のAO入試ってどんなもんよ?という方はぜひこちらを。