今日は第3章「ワークショップ開始」です。具体的な授業実践に入っていきますが、色々と個人的に考えることが多かった第3章。
もくじ
- 年度はじめの3日間だけで
- これぞ、「学びの個別化」!
- 「詩」のパワー?
- 『学び合い』のコンセプト
- スパイダー討論の可能性
- シティズンシップの体得
- 読むことアンケートと1万円選書
- 道具集めのほろ苦いキモチ
- 「回遊するサメ」のよう?
- おわりに
年度はじめの3日間だけで
第3章はアトウェルの年度始めの3日間の授業について記されています。
よく教員は「授業びらき」と呼んでこの年度当初をどう過ごすかが大事だ!ということを聞いています。
この3日間の営みだけで第3章の約40ページが書かれています。
それほど、アトウェルも大事にしている3日間。
2年間に及ぶワークショップ授業での学びの価値を最大化するための仕込みが行われます。
これぞ、「学びの個別化」!
かと言って、ダラダラとガイダンスをするわけではない、章末から引用します。(色・太字は筆者)
ライティング・ワークショップの初日だけが、全ての生徒が同じことを行う日。翌日からは、自宅で書き始めた詩の下書きを持ってきて、それぞれが自分の作品に取り組みます。みんなが違うことに取り組むので、教師にとっては頭の痛くなるような状態です。しかし、ワークショップで毎回決まってすることとワークショップのルールがあるので、パニックにはなりません。翌日生徒が書いて持ってくるものは、どんなものが登場しても、楽しみに待てるようになりました。文体も、捉え方も、題材も様々なら、一人ひとりが効果的に学べる教え方も様々です。
まさに、「手順が整っている」がゆえの、“学びの個別化”が成立しています。
授業3日目からは、もうワークショップが本格始動しています。本当にコンテンツに依存していない。逆に言うと、生徒の状況に合わせて、いつでもコンテンツの知識や技術は提供できるわけです。プロですね。
「詩」のパワー?
これは単純な疑問なのだけど、アトウェルは必ず毎回のリーディングワークショップで詩を扱っています。
読んでいくと、詩のもつパワー、ジャンルとしていかに素晴らしいかが数ページに渡って語られています。
ここにアトウェル自身の情熱が大きく注がれていると思うのだけれど、詩の良さは一読者としてなんとなくわかる程度なので、詩が苦手・あまり好きではない生徒との関わりがもう少し読みたいかもしれません。国語の先生、教えてください。
『学び合い』のコンセプト
アトウェルの授業こそ、「一人も見捨てない」を地で行っている感覚を持ちます。
一人も見捨てない授業、『学び合い』 | 活動日記 | 渋谷区議会議員・鈴木けんぽう公式サイト
先に述べた詩の鑑賞について、得意・不得意の差がある生徒たちでも、アトウェルは丁寧な「手順」を踏んでその方法と体得してきたスキルを「譲り渡す」ので、全く問題ないと断言しています。
満足できない本はやめてもよい、ではなく、読むのを辞めることを進める、という割り切りにも、誰一人として「読むこと」への抵抗感をもたせたくない、という強烈な願いが込められています。
スパイダー討論の可能性
アトウェルの授業では、皆が共通で読む詩について個別の鑑賞後、クラスでの話し合いが行われています。
この詩の鑑賞をする話し合いについては、スパイダー討論でやってみたら面白そうですね。こちらもまさに、「手順」「カタチ」が整った討論方式です。
奇しくも、『イン・ザ・ミドル』と同じく吉田新先生の訳本です。
シティズンシップの体得
とまあこうして読んでいると、とにかく学びのコントローラーを生徒たちに、学びの主役を生徒たちに、というアトウェルの仕掛けが随所に散りばめられていて、そのための工夫や準備を惜しまない教師としての姿勢が感じられます。この点において、どの教科の教員でも、子育てをする親でも読む価値があると思います。
アトウェルの授業を社会科教員の立場から考えると、民主主義の担い手として必要な素質・能力である「シティズンシップも養われる」と思わされます。
シティズンシップ教育の問題点は、民主主義に必要な姿勢を「シティズンシップ」として教条的に教えてしまうこと。シティズンシップは教わるものではなく経験。だからこそ、教員という仕事は、いかに「場づくり」ができるか。シティズンシップを実現する環境・授業デザインができるかだと思っています。
— やっちゃえ先生@読書・研究会の夏 (@Yacchaee) 2018年7月27日
アトウェルの授業設計は、「場づくり」であり、シティズンシップを実現するデザインです。そのことを痛切に感じる。
日本のカリキュラムでそのシティズンシップを担うとされているのは公民科ですが、そもそも公民科だけが担うものではありません。
学校という場が、民主主義の担い手を育てる場でなければならないからです。そうでなければ、簡単にネット授業に取って代わられるでしょう。むしろそれができない学校はさっさと代わってくれ、とも思います。
読むことアンケートと1万円選書
がアトウェルの仕掛けの一つです。書くことアンケートもあります。
これを見て思い出したのは、北海道のあの書店。1万円選書のいわた書店です。
店主の岩田さんが、私ひとりのために本を選んでくださる。その準備として、人生を振り返るようなカルテを書いて応募するのです。
いわた書店『1万円選書』申し込み方法・カルテ&感想はこちら!岩田徹【プロフェッショナル仕事の流儀】 | Japanlocal.com
NHKプロフェッショナルでもやっていましたが、「自分を知ってもらいたい、本のエキスパートに自分だけのオススメをしてほしい。」
アトウェルと通ずるものを感じます。ましてや書店では顔を合わせないやりとり。
でも、岩田さんの取り組みがここまで必要とされているのは、人と人が関わることの本質が込められているからだと思います。
それにしてもアトウェルは生徒のことをよく知っている。昨年亡くなった生徒の祖父を知っていた、とかさらっと書いてあるけど、たまたまなのか、何なのか。
道具集めのほろ苦いキモチ
これは少し話がそれるのだけど、私が育った家庭はちょっと色々あって経済的に苦しいということを感じていました。
アトウェルの授業もそうだけれど、小学校とかで、赤ペン、クリップ、ノート、雑巾など、家で用意したものをクラス単位で集めて、共有材として使うこと、ありましたよね?
でも自分は、雑巾ですら、自分で持ってきたものは自分で大切に使いたい、と幼心にいつも思っていた。器が小さいと言われればそうなんだけど、ね。
だから、こういう指示に対してはいつもほろ苦さを覚えていました、これはただの個人的な備忘録。
「回遊するサメ」のよう?
それから、アトウェルの生徒との関わりを読んでいると、ファシリテーションのことはどこまで意識しているんだろう、と知りたくなる。
彼女が自分をファシリテーターとして捉えていたかまだ読み取れていないのだけど、最近読んだこの本と重なるところがあった。
スパイダー討論もそうだけれど、ファシリテートの方法論・スタンスは自分なりのカタチをつくり上げるために、教員が勉強しないといけない1分野だと思っています。
今でも「回遊するサメ」のように生徒の周りをうろうろしてしまうことがあります。
おわりに
すでに3人のうち2人の訳者ブログは過去記事で紹介しましたが、もう一人、小坂先生の紹介文もぜひどうぞ。
しかし本当に編集者さんの「いい本にしたい!」という思いもにじみ出ている本です。読み進めるのが楽しい。ありがたい。