今日は、第8章「価値を認める・評価する」の書評です。ついに最終章。
もくじ
- 「3つ」の評価、知っていますか?
- アトウェルの授業では?
- 自分の授業を考えるとき、気になるのは①?
- 自分の授業を考えるとき、気になるのは②?
- 段階別の成績を出さないといけない場合は?
- 企業でも似ている…?
- おわりに
「3つ」の評価、知っていますか?
アトウェルの授業の話に入る前に、この第8章は「評価」についての章なので評価に関する考え方を簡単におさらいしておきます。
京大の松下佳代先生が研究会で発表された資料から引用します。←この引用元、ハーバードのEric Mazur教授のスライドも載ってて、ありがたい限り。
日本の教育界において、評価という文脈は往往にして一つ目の「学習の評価」であることが多い。
けれど、そうやって行われる評価が、果たして本当に学びの評価になっているのか?短期的に忘却される知識を評価することの意義は?という問いがあり、
評価で重要なことは(教師・生徒両方にとっての)形成的なフィードバックではないのか?という仮説から、授業・学習改善を主目的とした2つ目の「学習のための評価」や、学生自身が評価主体となる3つ目の「学習としての評価」という話になってくる。
個人的には、「3の学習としての評価を、いかにして既存の学校の構造的枠組みの中で(まずは自分の授業で)実現するか?」ということが大きな問いです。
※もう少し学びたい方はこちらをどうぞ。
学生を自己調整学習者に育てる:アクティブラー二ングのその先へ
- 作者: L.B.ニルソン,Linda B. Nilson,美馬のゆり,伊藤崇達,深谷達史,岡田涼,梅本貴豊,渡辺雄貴,市川尚,畑野快
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アトウェルの授業では?
先に紹介した3つ目の「学習としての評価」を評価の基本に据えています。
生徒自身が自分の学びの質を見定めることを評価の中心に据える
これを実現するために、
毎学期の最後の一週間、本校の幼稚園から8年生までの教師は全員、新たな内容を教えるのをやめます。生徒たちもいったん足を止め、その学期でしたことを振り返り、次の学期にむけての計画を立てるのです。すべてのクラス、すべての教科が、「評価のワークショップ」となり、生徒は自分の作品を見直し、自己評価用紙に答え、その根拠となるものをコピーし、ポートフォリオにまとめます。
ポートフォリオによる評価は日本でも入試で導入され始めています。Benesseさんのリンクを貼ると吠える人がいるんだけど、高1生向けに発信されているページではこんな感じで紹介されています。
アトウェルの授業では、入試で課されるから、という外的な要因ではなく、本当の“学び”を実現するなら、この形に行き着く、というような印象を与えます。
訳者のあすこまさんのツイート見返してたら同じような言葉が。
僕が国語の授業でリーディング・ワークショップをしているのも、別に新しい授業をしたくてやっているわけじゃなくて、「だって多読の必要性は明らかだし、放っておいたら生徒が本を読まないのも明白なのに、なんでみんなやらないの?」くらいの気持ちでいる。
— あすこま (@askoma) 2018年8月12日
しかし、アトウェルは学校単位で行なっている、というのがやはり強いですね(笑)面白い方法論に飛びついた授業ばかりしていては、こういう評価ワークショップは難しい。
仮にポートフォリオ評価をするのが難しい学校でも、アトウェルは「自己評価用紙」を使って、生徒が主体となった評価を実現すると言っています。その自己評価用紙は見本が本書p320~に公開されているので詳細をご覧ください。どんな質問項目を、どの順番で、なぜ聞くのか?という説明付きです。
自分の授業を考えるとき、気になるのは①?
アトウェルが示している評価の方向性を実際に取り入れるとしたとき、どうしても気になってしまうのはこの3つ。
- 1週間に2単位という少なさ
- 40人という比較的多い人数
- コンテンツ教科としての社会科
実際に日本の学校で、40人・2単位で国語を教えている訳者のコラムにそのアレンジの仕方が掲載されているので大変参考になります。
が、例えば高3生の秋までしかない授業を考えると、悩ましさは倍増。
ピアレビュー・カンファレンスなど、効果的なピアの関わりを授業に取り入れるしか、ちょっと見えてこない。前回記事にも書いていますが、羨望になりつつある。
※自分の限界を痛感しておりますので、「学びとしての相互評価」についてよく学べる本・論文を教えてください(切実)
自分の授業を考えるとき、気になるのは②?
でも実際にピアレビュー等のピアの関わりを授業で導入していて感じているのは、レビューの目的を明示したり、継続的に行なってレビュー力なるものを鍛えないとコメントの質は高くならない、ということ。
新聞投稿やレポートに対して、「はい、アドバイス・感想書いて〜」ではなかなか質が高まらない。当たり前だけど。
授業は場の価値の最大化だと思っているので、レビューをする時間が無駄だったと感じる生徒が増えるのは本末転倒。
アトウェルの授業のいいなと思うところの1つは、ピアレビューの豊富さです。特にそのピアレビューで示すべきことを、生徒がディスカッションしていること。
つまり、生徒自身が、このレビューでどういう役割が求められているか?どういうレビューがきたら成長できるか?を自分たちで咀嚼して、臨んでいること。それがいい。メタ認知。
どういうフィードバックがいいフィードバックか?を生徒が考える時間を高3の授業で確保しなければならないというのは、他の教科でそれまでにやってくれ…と思ってしまうあたりが、やっぱり一人の限界で、学校単位で取り組むべきことだと思ってしまう。教員に必要なのは、学び続けることもそうだけど、組織の中でプロジェクトを動かしていくような力だと感じる瞬間でもあります。大変だこりゃ。
段階別の成績を出さないといけない場合は?
という状況に対しても、アトウェルは一つ答えを示しています。それは、一人一人の達成したことの詳細記録を書くことではなく、一人一人の立てた目標に焦点を当て、評価に落とし込むこと。
生徒がライティング/リーディング・ワークショップで期待することに応え、各自で立てた目標を達成していれば、Aの成績。着実に学び、一定のレベルを超えていたらB。水準レベルで、可もなく不可もなければC。目標に遠く及ばず、取り組み不足の生徒はD
この基準で生徒が自分で自分の評価を出し、教員の評価と照らし合わせて段階別評価を決定するというもの。
もちろん、アトウェルが生徒に要求した項目を踏まえて自己評価を出させる(それが一番苦労した点だそう)ので大きなズレが生じにくいわけです。
体系的なカリキュラムがなせる評価ですね。アウトプットをし続けるからなせる評価とも感じます。
企業でも似ている…?
最初に自分で目標を立てて、それに対する自分のパフォーマンスを自分で評価する、という仕組みは、企業時代でも行なっていた評価です。
というか、企業で昇進や昇級を決める評価はこういうものでした。
成果に対して上司が、「よしAだ!」 というのではなく、まず自己評価があって、それに対して 上司がフィードバックをして、納得いく評価をすり合わせて行く。
私の勤めていた企業では、上司以外の同僚・部下、あるいは他の部署の人にも評価をしてもらう「360度評価」を行なっていました。次のサイトがわかりやすい!
ただ、それが万能というわけではありません。
学校とも共通する課題でしたが、段階別評価を出す場合、往往にして、「Aが○割、Bが○割…」と全体に占める評価の割合(%)を決めていることです。
つまり、相対評価の悩ましさです。
実際、企業にいた時に、「今回はA相当なのは自他共にわかっているけれど、同じ課の〇〇さんに久々のAをあげたいから君はBで今回は我慢してくれ」と上司に言われ、「うおおお日本の大企業ぉぉぉぉぉ」と発狂していた同期の記憶が蘇りました。おえ。
だから、全員目標を達成したら「A」がもらえる、というアトウェルの授業の評価を羨ましく思うと同時に、はっとさせられます。
私たちは、数字や段階で評価をつけることはしません。生徒の動機付けになっているのは、学びそのものです。
そうだよなあ。主に大学の推薦のために序列化している現状よ…せめて自分の授業だけは、なんとかして評価の構造をもう少しいじりたい。
※自分の限界を痛感しておりますので、「学びとしての相互評価」についてよく学べる本・論文を教えてください(2回目)
※この本も、評価を考える上で多くの示唆を与えてくれます。
おわりに
とりとめもなく章ごとに書評として書いてきましたが、これで完結です。
アトウェルの授業で貫かれている「個へのサポート」は学校種・学齢・教科を超えて求められる教育の本質。アトウェルと、訳者の熱量に鋭気を養ってもらいました。
次は、自分の授業にいかに実装していくか。考えよう、考えよう。素晴らしい訳本をありがとうございました!