先日の記事に対して反応をくださった方々、ありがとうございます。
個人的に流れてしまうのが惜しいのでまとめさせて頂きます。
その前に、今思っていることもまとめさせてください。
反応を拝見して
伝えたいのは、この記事自体を書いた理由。それは、
「高校教員」が自明視している「高校での教育」という足元・土台を、
自分たち(高校教員)で見つめ直さなければ、知らないうちに足元から瓦解していくんじゃないか?と思ったから。
・高校という「ステージ」が社会で必要とされていること
— やっちゃえ先生@大企業やめた (@Yacchaee) 2019年1月15日
と
・「高等学校」単体が社会で必要とされていること
は
必ずしもイコールではないと感じています。そんな意識からさっきの記事。「高校教育」を「高校教員」が考えなければ、地盤沈下するんじゃないかと、うっすら思ったりするのです。
産業化時代からの脱却、高校教育の多様化はもう起き始めていると思います。
- 既存の高校に一石を投じる存在(N高が象徴的?)
- 少子化と逆行する中高一貫校・中等教育学校の増加
- 職業教育校の充実(ドイツのような?)
だからこそ、「高校教育」という足場を問い直そうよ、という気持ちでした。
今一度思うので、強調しました。
皆様からの反応
面白いですねー!中にも書かれているように小中学よりも教科や科目、学校のレベルや目指す像、学校経営上の体制までもが細分化されているからという理由に一票ですね!僕も教務のことはわかりますが、進路指導は自信ありません泣
— H.N(高校理科&教務主任) (@nachu_science) 2019年1月17日
https://t.co/Y21VvOopsy
➡️一連のツイート含め、丁寧に読んでくださってありがたいです。
どうなんだろうね。
— いだっち (@tomohiro_ida) 2019年1月16日
私の場合、特定の誰かがカリスマになって盛り上がっていくことから距離を置きたい感覚があって、そういう感覚がある人が高校教員でツイッターやってる人には多い様な気がしている。
人よりモノや事実に注目してるというか、そんな感覚。 https://t.co/rrzZ0ZDODG
Twitterで見かける高校の先生たちは、インフルエンサー云々みたいな界隈とは全く違う空気感を感じる。私はこちらの方がほっとする…
— カッパちゃん(NOISE) (@kappappa519) 2019年1月16日
➡️わかる気がします。 なんなんでしょうね。実際ほっとする感じと、学問へのリスペクト、没入感は強い気がして、それぞれの先生がそれぞれの学問に触れる一面を見るのはとても好きです。
インフルエンサーなんて形のないものになりたがるおばかさんがいない世界だからだと思うよ。 https://t.co/egQZKptKUU
— つぶつぶ (@TSUBUTSUBU1) 2019年1月16日
そもそも、インフルとかどうでもって感じ。
— ぽむ(溜まってる) (@protect_the_tea) 2019年1月16日
俺に言わせりゃ、教育問題に敏感な小学校教員とかいないし、教育問題を発信するアカウントを『黒い道』と形容するwatchaの人間もおる。
裏付けなしでも体言止め改行内輪受けツイートを分析すりゃフォロワーは増えるだろうが。
https://t.co/UoetlYmIlI
➡️過度な一般化は避けたいですが、おっしゃりたいことは非常にわかる気がします。きらびやかな見た目よりも、地道な裏付けで教育を語れるようになりたいです。
簡単に言えば、Twitter での発信に慎重な人が多いんだと思います。セルフブランディングというより、日常の思ったことをつぶやく傾向が強いのでは。あとは高大連携や専門的な話にフォーカスすることが多い印象かも。
— しん Lv.63 (@smallstep12345) 2019年1月16日
高校教員のインフルエンサーがいない理由 ー分断と不在ー https://t.co/tRg4XHoFsP
部活動問題含め、学校での理不尽について訴える垢もあれば、割とプライベートについて呟く垢もあれば、いい授業にするにはどんな教材がいいか試行錯誤する垢もあれば、近年の英語教育や国語教育どうしたらいいんだろ?を真剣に考えてる垢もある。インフルエンサー?じゃなくても非常に参考になってます
— しん Lv.63 (@smallstep12345) 2019年1月16日
➡️確かにそうですよね。実際私も本当に勉強させてもらっています。
本当に,そのとうりだと思う
— N教師 (@Nx77fN) 2019年1月16日
高校教育だけ取り残されているみたいだ。
ALは,もともと大学・高校の授業改善のために示された言葉なのに。。。 https://t.co/odzIYi288Z
➡️教科を違いをリスペクトしつつ、単位の奪い合いにも、小手先の技術論にもならない、「高校教育」 を語ることはできるし、必要だと思うんです。
教育の多様化による分断は本当にそう思います。良くも悪くも義務教育外だからでしょうか…高校って情報が少なくて4月とか非常に困った。 https://t.co/dBjhv3tlD1
— くらら (@clara_historian) 2019年1月16日
➡️こういう仲間の声を、丁寧に高校教員がひろっていきたい。手厚い人も多くないので、心細さはありますよね。
おもしろい。逆に言うと、高校教員という存在自体がレアで、ある種ブルーオーシャンかも🤔笑 https://t.co/A5gQC9YVHk
— かざま (@cschool_kazama) 2019年1月16日
➡️前向きで素敵!SNSで有名になりたいとは思いませんが、実のある発信を続けて自分を相対化し続けたいなと思います。
どういうのを「インフルエンサー」と定義しているのかがよく分からないので何とも言えないけれど、
— さときち (@sato_sato_kichi) 2019年1月17日
この業界に来て感じるのは、校種が下がるほど「教員が『先生』になる」というか、教員が「万能感」を持っているというか、
なんていうか「自信たっぷり」なんだよね。https://t.co/WEvov4zElI
➡️いつでも、どの学校種でも自分の万能感を感じるシーンがあったら、気をつけていたいです。
んー、高校は多様化と単位制という前提があり、発達段階や制度上、生徒の中心的生活フィールドには高校はならなくていい訳で、それでいいんじゃないかな。
— 空を歩く人 (@kokokokoko_0103) 2019年1月17日
問題は、生徒の中心的生活フィールドであり、上級学校進学が約100%の中学校じゃないかな。 https://t.co/XeK4Fz85Li
➡️中学校の先生方の認識も気になりますね。
しばらくTwitterで話題になっている「高校のインフルエンサー不在問題」は、高校教員が他の教員をインフルエンサーと崇めて熱を受け取っただけで満足するのではなく、自分自身が具体的に技術・知見を習得して腕を磨こうと努め、彼らを頼ろうとしていないから、インフルエンサーが不在なのではないか。 https://t.co/HK6VKQ95fa
— ボリバル@世界史の歴史的思考力 (@world_history_k) 2019年1月17日
➡️こう胸を張って言いたい!!
『共通了解がないと、対話は生まれません』に大いに共感。義務教育から進路に応じた段階の教育になるからなのか、学校によって本当に違う。それは進路が違うからという理由だけではなく、あくまで本県で感じるのは高校教員自身が独自のやり方を通すほどこだわりが強いということ。対話する気すらない。 https://t.co/ERuPTTiRtc
— びゃくい (@education_wrks) January 17, 2019
➡️少なくとも、学校内での対話を本当に丁寧に紡ぎたいです。私はそこが1番の自分の課題です。「対話」が圧力に感じる人ってどうしたらいいんでしょうか。
教員自身はインテリであるべきだと思う。生徒たちに「いま自分がいる場所とは違う価値観や世界観を持った人間がいるのだ」ということを身をもって体現することが、今いる場所に満足できていない生徒にとっての救済になり得ると思うから。
— 垣内 玲 (@R_Kakiuchi_0921) 2019年1月17日
➡️直接この話題に言及されていないけれど、示唆的な気がしたので。
おわりに
なぜか「自分(の学校/教科)は大丈夫だ」と思ってしまうのが人間だけれど、生徒がいなければ教育も何もないのです。
私立の生徒募集も、増えるのはゆっくり、減るのは一瞬です。
足元を、地道な対話を通してかためていく、かためなおすこと。