やっちゃえ先生探究記

生徒の力が引き出される「学習者中心の学び」をデザインしたい教員です。地道な形成的評価を大切に。

これからの修学旅行・校外学習のカタチを考える ー「恒例の行事」から「選択するツアー」へー

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英語外部検定利用入試の延期が決定した11/1以降、教育をめぐるニュースや議論が活発になされている印象を受けます。(教育は誰もが経験した分、語り合い共通了解を紡げる可能性を感じやすい一方、各人の教育経験にかなり依存するので難しさもあります)

そんな中、今日出ていたこちらのニュース。修学旅行のしんどさについてです。

京都新聞社では9~10月に宿泊学習への考えを問うアンケートをインターネットで実施し、780件の回答があった。負担が大きいと答えたのは、保護者や経験者など教員以外の回答者で27%、教員は89%だった。

修学旅行はしんどい?

上の数字だけ見ると、教員以外の「しんどさ」が深刻であるかといえば、量の面では一概に言い切れないところがあるでしょう。というのも、

数字(27%)であることに加えて、そもそもアンケートに回答している時点で、宿泊学習への違和感がある層が多い、と推測することもできます。

ただ、一人一人への対応が求められる学校教育において、量的に問題なさそうだから不問とする、と言うわけにはいきません。質的な問題が山積しています。

負担を感じる部分を複数回答可で尋ねたところ、最も多いのが「準備が大変」の92件で、「集団で寝泊まりすることへの心理面・体調面でのハードルが高い」が83件、「経済的負担がある」が78件と続いた。

アレルギー、発達障害、服薬など、かなりケアしなければいけない事が多い宿泊は心配でしょう。

教員以外の回答では、負担を訴える声から、心や体調が不安定な子どもを育てる家庭の悩みが浮き彫りになった。 

一方で、記事中に、

負担が大きいと考える回答者もほとんどが、何らかの意義を見いだしていた。  

という分析も見られ、一概に宿泊行事を廃止せよ、という結論にはなりません。

教員も、しんどい? 

担任として修学旅行担当教員も務めた事がありますが、確かに大変ではあります。

引き継ぎを受けて、下見に行って、旅行会社と打ち合わせ、校内では板挟みになったり、とにかく業務量が多いのが修学旅行の担当です。私立だからでしょうか?

しおりとか生徒に作らせて全部丸投げしたいけどそうもいかないし、 集団で寝泊まりする班分け等はヒヤヒヤすることもあります、首里城が全焼してしまったように予想外の出来事もあり…。

ともかく、1年近く前から色々な準備をして、事前・事後学習まで含めて見なければいけません。

教員では、拘束時間の長さを訴える声や教育効果を疑問視する意見が目立った。 

というのは非常に納得します。

実質、自分が担当でなくなったら「まあ来年の学年団が検討してくれ」と引き継ぎでいえばいいだけで、改革に労力を割かないのが実情。

惰性でやっている学校も少なくないはずです。悲しいかな。

これからの修学旅行のカタチ

そういった状況を踏まえて、未来の学校の形を構想しつつ、少し考えたいと思います。

言うまでもありませんが、惰性で続けているならば、何のための修学旅行か、どういう意味を込めて学校は企画しているのか、を見直す必要性があるでしょう。

文科省の通達でも

学校における教育活動は、一般にその教育の場が学校内に限定されているが、遠足・修学旅行は学校外に教育の場を求めて行なわれる活動であるので、学校内では得がたい学習を行なう機会として有効に活用するようその計画と実施にあたつて学校の創意と教育的識見をじゆうぶんに生かし、いわゆる物見遊山や観光旅行に終わらせることのないようにすること。(太字は筆者)
小学校、中学校、高等学校等の遠足・修学旅行について:文部科学省

はっきり「物見遊山はやめろ!と書いてあるわけです。遺跡巡って「ほえ〜」ではダメだということです。 

これは「カリキュラムマネジメントの視点から」修学旅行を考え直すべき必要性が不断にあると言うことです。

学校の教育目標を念頭に、生徒の実態に即して、どのような修学旅行にすべきかを考えていかなければいけません。

桐蔭学園ばっかり載せるとアンチ◯上派から噛みつかれそうですが、例えばこんな事例もあります。

smizok.net

その考え方のもと、生徒と一緒につくっていくことができれば最も真正な学習であり、PBLだと思うのです。そのための可処分時間が少なすぎるんだけどね。

そう考えると、

・高校生の海外修学旅行、1位「台湾」…4万人超が訪問 | リセマム

海外に行く事が、必ずしも良いわけではないですよね。

これからの校外学習のカタチ

ここが本記事で提起したいことなのですが、修学旅行だけでなく校外学習についても。

10年後、20年度の学校の形を合わせて想像してみると、学校が生徒の生活の全てを支えると言う状況は考えにくいでしょう。

具体的には、義務教育段階でもICTの導入が加速し、アダプティブラーニングが今以上に浸透し、「学びの選択権」が生徒に保障されている状態が、各学校で実現し始めるのではないでしょうか。

高校では、一般入試で国公立一般入試合格!より生徒のニーズに応える学びの場を用意できる学校が生徒の集まる学校となるでしょう。というかもうなっていますよね。

そうした環境において、学校がどのような「校外学習」を企画すべきか?です。

私の勝手なアイディアですが、

  • 教員がそれぞれの理想を描き、任意参加の校外学習やスタディツアー等を企画する。
  • 家庭から例えば5万円の校外学習費用を集め(所得に応じた行政からの補助、が出てほしい。そのためのバウチャー制度の策定も)、そのお金を生徒・家庭がどのように使うか選ぶ事ができる。
  • 最低でも2つ以上の任意校外学習に参加する
  • その参加を通して学んだことをまとめ、発表する

というように、学校が広く「豊かな学びの経験」を供給するコミュニティとしての役割を果たす事ができれば意義深く、教員としても楽しそうだなと思うのです。

「そんなのは民間がやればいい」という声も聞こえてきそうですが、そうやって民間のように自分の企画が通ってツアーとなり、生徒が素晴らしい学びを実現した時の喜びは半端じゃないですよ。

真正な学びを、作り出せ

教員も生徒も、保護者も、決定権のない校外学習ではなく、自分から積極的に意味を見出して参加することで真正な学びが生まれるのではないでしょうか。

教員目線から言えば、その企画が「教育活動」として成立するか、事前学習・事後学習が有効に機能するか様々な観点からもまれることで、教員のPBL構想力も鍛えられると思うのです。

簡単に言うと、「面白くない企画」は通らない。それはいい学習デザインと告知ができなければ人が集まらない、ということ。

それはある種、教員として必要なスキルの形の一つであると思います。

もちろん、これが公立の義務教育段階の学校種で可能か?と言われれば分かりません。きっと厳しいのかもしれません。

でも、だからこそ、私立学校は積極的にこういうトライアルをしていくべきだと感じます。自由と多様性を理念とする私学の存在意義はこうしたトライアルができるところにあるのですから。 

おわりに 

今私自身も実際にスタディーツアーの企画をしています。

学校カリキュラムに位置付けて、生徒の資質・能力ベースで一から議論していて、これはこれで意義深いと思うのです。

学校が日々の生活の場になっている生徒にとっては、改革よりも安心を求めるもの。

でも、仕掛けなければ、特に私学は「不安定」になってしまうから、仕掛け続けないとと思うのです。

簡単に守りに入ってしまう教育現場だからこそ、私学には私学のできることを、公教育を担う端くれとして。