今週のお題「オンライン」
ということで本校のオンライン対応、Zoom対応は色々こちらに書き連ねています。
その中でも、今考えていることをざっとまとめておきます。
以下、ご覧いただく前に、ひとつだけ思い返して欲しいのは、あなた自身は中学・高校で保健室の先生にお世話になったりしませんでしたか?ということです。
生徒の声を聞け
ツールが発達している分、色々お試しして楽しいのだけど、やっぱり生徒の声をつかむためのツールであって欲しい。
今は任意で参加している生徒がほとんどなので「正課」の授業としてZoomを使用した場合にどうなるかは不透明なことも多い。
多くの教員もそうだと思うけれど、授業でこちらから話すときに「コンテンツだけ」を切り出して話しているわけではない。
具体的には、日々のHRや授業で、生徒たちの様子、学校空間で共有している行事、地域の話題など、全体と個々の状態を見ながら時に慰め、たえず励ましていくような言葉掛けが多くある。
様々な言語・非言語コミュニケーションを行ない、生活に近い学校空間のあり方がオンライン化することで、その「余白」が生まれにくくなる。
教員も生徒も、目的的に動いてしまい、予測不能の化学反応が起こりづらくなります。
どうやってモチベートするか?
さらに気にしているのはモチベーションの部分。デシの動機付け理論から言えば、
- 自律性
- 有能感
- 関係性
への欲求をうまく刺激するような授業デザインが求められる。
逆に言えば、生徒が自分で決められて、ほどよい挑戦ができて、他人と良い関係が築ける授業であればオンラインであろうと対面であろうと機能する。
この点からいえば、Zoomのブレイクアウトルームなんかはある種の「オンライン上での密室」に生徒を送り込むわけで、その意味ではかなりの自律性が求められますよね。
でも、出された課題がつまらなかったり、難しすぎてやる気がなくなったり、メンバーと意見がまとまらず修復もできなかったり、と危険性もある。
1回の授業で3つすべてをMAXに刺激するような授業ができなくとも、これらを意識してつくるのかそうでないかの差は大きい。
この本はそういう意味で、オンライン授業の環境づくり本としても読める手軽な1冊なのでぜひどうぞ。
生徒をエンパワーすること
特に今年の高3は入試改革はじめ、本当に色々なものに振り回されてきている。
高3に限らず、教員として生徒をエンパワーするような存在でありたいし、そうあらねばならない、とまだ青臭く思っている。
生徒は教員を選べない分、たまたま授業でもHRでも担当になった教員はどんな生徒に対してもベストを尽くしていく存在であるべきだと割と本気で思っている。
と同時に、そういうことを言語化せずあたかも生徒とのかかわりに興味なさそうな教員がいることも組織としては重要。いろいろなあり方でいまを生きていればいいのです。
でも、オンラインだと生徒も教員も、その「生き方の体現」が非常に難しい。
ミュートのジレンマ
オンライン授業を例にすれば、人数が増えれば増えるほど「ミュート」推奨となり、ぽろっと漏れる生徒の反応や、言葉を拾うことができない。
かといって入室時のミュートをオフにすると最初の「統制」(言葉遣いが良くないが)が取りにくくなるし、微細な音も拾っちゃうので少し静かにして、という言葉がピリッとした緊張感を生んでしまう。
そういう小さな緊張感は、うまく使えばハリが出るけれど、生徒同士の信頼関係、教員と生徒の信頼関係ができていない状態だとあまりうまく働いてはくれない。
で、その緊張感で硬くなった空気をほぐそうと、教員が「一所懸命」になってしゃべり、口数が増え続けてしまう。
そうなると負のループなのです。
4月という年度のはじめ、人間関係がシャッフルされることも多い時期特有のそわそわに加えて、現状のような有事の際には「楽しく」参加できることがいつも以上に大切にされるべきだと思う。
部活の多忙な業務から解放されて喜ぶ教員の声も散見していますが、部活動に何を委ねてきていたのか、それは部活動という仕組みのない学校でも担保できるのか、試されている気もしますね。
余白がなくなる学校
まとめます。
オンライン化すればするほど、学校から余白がなくなっていくわけです。
学校が好きな生徒、向学校的な生徒はオンライン化しても大きな問題はないのです。でも学校はそういう生徒ばかりではない。組織としてオンライン授業の目処は立ったけど、オンライン化すればするほど目的的になって、生徒がふらっと職員室に立ち寄ったり、色々な相談にきたりするハードルはぐんとあがる。向学校的でなくても生徒が学校リソースを活用できるようにオンライン職員室を考えても、結局ハードルは高い。むむ。
— やっちゃえ@2つのPBL (@Yacchaee) 2020年4月7日
学校はだるかったけど、保健室に通ってた大人もいるでしょう。そういう生徒の場がなくなってしまわないか、ということを危惧しています。
ご家庭目線だと、それはこのようにも映る。
いまの状況、「意図してない化学変化」とか「セレンディピティ」が得にくいんだよなあ。それぞれがそれぞれの持ち場で雑多な刺激を受けてきて、持ち帰った家庭のきょうだい関係・親子関係のなかでまた攪拌されるような、ぐちゃっとした推進力がない。予定調和に着地する毎日
— knockout_ (@knockout_) 2020年4月7日
だから、予定調和に収まりすぎないように、目的的になりすぎないように、余白の時間を意図的に作り出そうとはしている。
各々がいまを生きる中で学校のリソースをふと頼りたくなった時に、クラスの枠を超える場が必要か。今年度のクラス担任の心理的負担は間違いなく重い。自分の授業準備をそろそろ本気でいかないとだけどトライアルの「オンラインプチ職員室」くらいやろうかな。必要ならブレイクアウトルームで個別対応。
— やっちゃえ@2つのPBL (@Yacchaee) 2020年4月7日
が、それでも抜け落ちるものがたくさんあるし、その部分は家庭や友人関係や地域の中でカバーされていくしかない。
だからこそ、生徒が「居る」ことを大切にしているんだ、というメッセージを、意識的に発し、仕掛けていかなければ、オンライン授業にいくら成功しても、映像授業のプロに取って代わられるだけなのではないかと、思ってしまいます。
ぜひ読んで欲しいな、と頭をよぎるのはこの本です。本の紹介多い。
「居る」を、長期で支える
生徒の「居る」を支えられない学校組織は脆く、一部の「できる」生徒を祭り上げて、スクールカーストを強化・再生産してしまいます。
コロナによるオンライン対応でそれはさらに顕在化する気がします。
総力戦であり、長期戦です。
今は必死で目の前の準備に追われているけれど、少しずつこぼれ出てくるものがあることを予期しておかないと。
「子どもは失ったものを言語化せず、SNSで政治に文句言うこともなく、何かをため込む」
— knockout_ (@knockout_) 2020年4月7日
今朝、治部さんが言っていた言葉。すごく良いな。彼らが表現できているものは意識のほんの一部で、しかも親の思想や言葉を借りていることが多い。ふとしたふるまいに表れる真意を読み取れる存在でありたい
言葉でこぼれ落ちるわけでもない、という所まで見据えなければいけない。
おわりに
著作権に関してはかなり動きが進んできていてありがたい限りです。
【4/30追記】授業以外で、生徒とコミュニケーションをどう取っていくか、どう偶発性に支えられた空間をつくるか?の実践です。