やっちゃえ先生探究記

生徒の力が引き出される「学習者中心の学び」をデザインしたい教員です。地道な形成的評価を大切に。

教員が行くのか、生徒が来るのか 〜授業のための「教室移動」の変化と意味〜

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たまにはコラム的な記事を。2学期が始まり1ヶ月。

コロナで大きく変わったことの1つが授業のための移動です。

授業場所の変更

コロナによって授業(形態)の変更がもたらされたのはいうまでもありません。

そこで語られる変更は内容や形式と行った部分が多いのですが、個人的に直面し続けている根本的な変更として授業をする場所の変化があります。

私の受け持つクラスは40人のクラス単位の授業であるため、

コロナ以前に行っていた通常の教室では十分な距離が取れないとして、より広い教室等で授業を行っています。

今までは授業の内容やねらいに合わせて場所を選んでなるべく変えていましたが、ある意味今は、「ここで授業をしてね」という場所でやっています。

 

生徒が、来る

ここで起きた変化はというと、

以前は教員の教室に足を運んでいたのに対して、

現在は生徒が指定した場所に来るようになりました。

このことによる変化を考えると、生徒一人一人のことを知る機会や、交流する機会、クラスの空気感を感じる機会は減っていると思います。

というのも、例えば、以前なら意図的に教室の後から入り、おはようとかお疲れとか言いながら生徒同士の休み時間のやりとりや、過ごし方にアンテナを伸ばすことで得られていた情報が色々あったわけです。

 

どんな色々を見ているか

じゃれあう生徒、弁当をかきこむ生徒、1人で黙々とスマホや読書、課題をしている生徒もいれば、突っ伏して寝ている生徒、友達とおしゃべりする生徒…

ふとしたシーンの積み重ねが、一人ひとりの記憶につながり、話をするきっかけになっていました。

もちろん学校という場、教師の権力性を考えれば過干渉は禁物です。休み時間に教師が介入することには抑制的であることも必要かと思います。

なので、過干渉にならないように、さらっと教室に入りつつ、

でも一人ひとりの様子話の種、クラスに流れる空気感、もっと言うと疲労度合いなどを察知しようとアンテナは敏感に働かせている、そんな授業前の数分間です。

 

コロナで機会減

しかし、今はそのような機会がかなり減ってしまっていると感じています。

私が使う図書館や中規模程度の教室は、生徒が普段過ごすクラスの教室などから少し離れた場所にあるため、そのために生徒が移動してきます。

前の時間の兼ね合いもあり、始業ギリギリになる生徒もいます。

そうなると必然的に

こちらが待っているようなケースが増えたり、

異動してきたばかりの教室なので机の上や周りに何も広がっていなかったり、

飲食を積極的にしなかったり、

となるとちょっとしたスマホと、ちょっとした近くの人とのおしゃべりくらいにとどまってしまい、ひとりひとりについて得られる情報がかなり減ってしまいます

 

目的的であった春を引きずる??

学校という場が、オンライン授業によって、目的的になっていたと思います。

というか私の生徒に対する関わり方がどうしても余白のないものになっていることを反省する日々。 

こういうときに大福帳の数でカバーすベきですがなかなかできておらず、反省ですね。

 

おわりに

小さな気づきですが逃したくないと思ったので記しておきました。

本当に些細なシーンを切り取れば、例えば、

教室に入って行った時に、こちらに目線を少しやりつつ、何か食べている近くの生徒、というのは「何食べてるの」とか「美味しそうだね」とか、軽く話しかけやすいのですが、そういう機会がかなり少なくて、教員が話しかけたら話の重みが割とずっしりあるケースが増えている気がします。

また食べているものやお弁当、スマホの機種やスマホカバーなど色々関心を持てば見えるものはあるのですが、なかなか情報を得るのに苦心していますね…

あ、でも涼しくなって来て1ヶ月前のマニュアルもやりやすくなってきましたね。

問題は冬場ですね、、、教室は寒いので…