どう表現しても言葉足らずになる、素晴らしい書籍でしたので紹介します。
色々な「探究する学び」 を追及し、非常に参考になる記事をいつも発してくださる藤原さんが、(あえて)ハイ・テック・ハイに特化する形で探究本を書く、わけですからね。しっかり中身の詰まった1冊でした。
読んだ後の実感
映画「Most Likely to Succeed」がハイ・テック・ハイの実践を知る表面だとすれば、
この本は重厚な裏面、といったら失礼でしょうか。
「裏」というより、もはや最近は死語となっているA面/B面の感覚に近い。
- ハイ・テック・ハイの実践を支える理念
- 映像では語りきれなかった裏側にある価値観
- 一見華やかに見える成果物を支えている地道なしかけ
そして、
- PBLの思想と歴史という大きな文脈
をつかんだ上で、日本の学校教育に前向きな一石を投じる本格派で建設的なB面、といったらよいでしょうか。
日本の学校教育における、探究・PBLを考えるうえで必読本になるでしょう。
見どころ満載なので、章ごとに個人的に考えを巡らせた点に絞って整理してみます。
本記事では第1章だけで長くなってしまったので、かみしめながら記事にしていきます(笑) ※以下の引用部分の太字・色は記事筆者によるものです。
あえて、同じ結果となるように
「ハイ・テック・ハイほど、自分たちが何の目的で何をやっているのかを明確に言語化できる学校はないと思う。それぞれの教室は同じでなくていいということが、ハイ・テック・ハイを見るとすぐ分かる」(31)
まずこの時点で日本の私学でもなかなか追いつけないと感じますよね(汗)。
「ハイ・テック・ハイは公正性に向けての"プロジェクト"(High Tech High is an equity project)」(35)
という理念を体現している学校をつくっていることがよく伝わりました。さらに、Equityという言葉は日本語に訳すときブレの大きい言葉なので、
公正(Equity)というのは、人はそれぞれ違うのだから、その違いに応じて、「同じ結果」となるように導く、ということである(35)
という定義もなされています。
この部分が面白いと感じるのは、
人はそれぞれ違うのだから、学びの個別化によって違いを尊重することで、同じ結果には決して導かない、という教育の方向性もあり得るはずだからです。
公正のための学校を「つくる」
しかし、ハイ・テック・ハイはその方向に行きません。
日本の学校が「一人ひとりを大切にする」と言いながら、画一的な工場労働者を育成してきたことを考えると、ハイ・テック・ハイが「同じ結果」に導くというのは少し意外な感じがします。
が、そう考える理由の一つに、公立校、の意味を感じます。
学力テストで入試を行うことをせず、習熟度別のクラスにも分けず、授業料も無料である。
そのような環境の中で、あえて多様な背景を持つ生徒を積極的に迎え入れ、「公正」のための1つの社会実験を行う、ことに大きな意味を感じました。
公立=公正のための学校、となるはずが、必ずしもそうなっていない社会の現状を踏まえて、公正を実現するための学校を今ここでつくる、という強い意志を感じます。
だから、安易に「個別化」という方向に行かない点は、日本の教育改革の行方を考えるうえでも示唆に富むのではないでしょうか。
日本における公立校の特色とは
日本でも、公立/私立の別しかないような印象を持ちがちですが、公立の中にも様々な特色ある学校があり、それをもっと前面に押し出せるような学校運営が可能になれば、と思います。
※例えば東京都は、独自の奨学金制度により、私立高校の授業料も実質無償、というところまで制度が拡充しています。となると、公立はより特色をはっきり打ち出すような裁量・権限を現場に持たせることで切磋琢磨する環境ができていくのかな、とか。普通科・専科以外にも特色はたくさん作れますよね。
この学校は何のためにあるか、という問いを教職員が意識する学校を作らないと、カリキュラムマネジメントの原点がぶれますよね。
この学校でどんな力が付くか?という問いとは微妙に異なることに注意が必要かと思います。もっと大きな目線で、でも市場原理に絡めとられない、人格形成の場として学校を社会の中に位置づけることの意義を感じますね。
話を戻して、ハイ・テック・ハイを特徴づける方針の一つで、日本でなかなか聞きなれない言葉がありました。
意味があり、美しい学び
こころと身体の双方をフルに使って「意味があり」「美しい」学びをするように求める。生徒たちは、「自分にとって意味があり」「友達や先生、学校にとって意味があり」「学校の外の世界にとって意味のある」学びをする(39)
先ほどまで述べた「公正」のための学校という理念がしみこんでいく感覚になります。そこがブレないから、「意味がある」ということを考えるときにおのずと「公正」がプロジェクトの中で意識されるのでしょう。
そして、生徒を「職人=クラフトマン」とみなし、美しさを追求する。これはなかなか聴き慣れないですよね。
そうした営みをプロジェクトとして学校の中心に据えることで、ひとりひとりが「美」という普遍的な価値の前に平等に扱われる、そんなダイナミズムを生んでいるような気がします。
この辺りは、ハイ・テック・ハイの様子を描いた映画「Most Likely to Succeed」によく表れていたことかと思います。
つくることで学ぶ、ということの意義を感じ学ぶにはこちらの書籍もおすすめです。
作ることで学ぶ ―Makerを育てる新しい教育のメソッド (Make:Japan Books)
- 作者:Sylvia Libow Martinez,Gary Stager
- 発売日: 2015/03/25
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
教員に求められる協働性
上記の理念を前提に学校を運営する際、教員の協働は不可欠でしょう。
第一章の終わりにある言葉から考えるに、
「自分の才能と情熱が出会う場所」をつくり、
「それをするのが自然に感じられること」を見つけるための学校
をつくろう、という共通了解が、協働を生むエネルギーになると感じました。
もちろん、生徒にとって、学校がそうであったらいいですが、教員自身にとっても、そういう場所が職場であったら、そんな幸せなことはないですよね。
この協働を効果的に、意味のある形で生み出すためのしかけも本書では触れられていて、とても印象的でした!
この点についてはまた記事を改めて書きたいと思います。
第1章が黙示すること
最後に、日本だとどうしても「型」を教員自身も必要としてしまうところがあります。でもハイ・テック・ハイは教員の自由度を最大限尊重していることが、本書を読むとよくわかります。
そりゃ給料が多少安くても働きたいですよ。(笑)
公正のために教員の取り組みの自由度をあえて極力保証する。型にはめず、均質化をさせないことが公正を生む。
これは覚悟を決めないと難しいことですが、この教員への深い信頼が、生徒への深い信頼につながることを痛感しています。
日本の学校も、職員会議で発言できないとか(実習で見た)意味不明なルールはやめて、コミュニティの成員として一緒にいい場所を作る仲間として、同僚を信頼しないと始まらないですよね…。
おわりに
藤原さとさん本、読むしかないですよこれは。ハイテックハイの優れた実践の裏にある理念が学校の隅々まで行き渡っている。教育者に求められること、それぞれの現場でそれぞれのベストを尽くすために必要な知見が得られる。担当してる探究講座もさらに改善します。https://t.co/6GLTAxnjTw
— やっちゃえ|Blended Learning (@Yacchaee) 2020年12月30日
続編はまた2021年に書こうと思います!
それでは2020年もありがとうございました!よいお年をお迎えください。
【2021.1.16追記 第2弾を書きました!】