やっちゃえ先生探究記

生徒の力が引き出される「学習者中心の学び」をデザインしたい教員です。地道な形成的評価を大切に。

なぜその辺の高校教員が司法試験に挑んだか①~勉強開始まで~

大変ご無沙汰しております。近況報告です。

1番大きなご報告としては、2025年度(令和7年度)司法試験に合格することができました。通知も受け取り、現実感が生まれてきました。

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法律の世界では西暦と同じあるいはそれ以上に元号を用いるのもようやく慣れ、

ひとまず分かりやすい結果が出たことに感謝と安堵でいっぱいです。

 

このブログ以外にも、いくつかここに至るまでの経緯を報告したりする機会に恵まれたので、なぜその辺の高校教員が司法試験を受けるに至ったのか、言語化してみようと思い久々に書いています。

ただ、完全に個人的な振り返り記録のようなものなので、読みづらく面白みに欠けると思います、ご容赦ください。

きっかけがいくつかあるので、まとめてみます。

①倫理の授業から

高校で倫理分野を担当する中で、「本質観取」によるグループプレゼンテーションを生徒たちに取り組んでもらってきました。

本質観取については、ついに今度苫野先生の共著で教科書も出ることになり、その広まりを体感していますが、その内容は今日は割愛。

要するに、生徒たちが、本質観取という方法を用いて、普段使う何気ない言葉(「推し」とか「かわいい」とか…)の本質を探究する学習活動です。

普段当たり前のように使っている言葉だけど、本当はどういう意味を持って理解し合っているのだろう、ということを対話を通して掘り下げ、皆が納得する共通了解を見出す、という営み、と言い換えることもできます。

 

その説明やなぜその学習活動を取り入れているか(カギは相対主義に対する問題意識)はさておき、

数年間生徒たちと一緒に本質観取に取り組んできて、ある日「あれ、法って本質観取の結果じゃないか?」と思うようになったのです。

話が飛んだと思うので補足すると、

過去から現在に至るまで、色々な法がありますが、「ここまでだったら言葉でルール化できるよね」と納得して制定されたものが法なのではないか、と感じるようになったんですよ。当たり前に感じるかもしれませんが笑

 

急になんだよ、と思われると思いますが、

大学生頃までの自分は「法は本当に困っている人に手を差し伸べることができていない冷たいもの」という印象を強く持っていました。

ただ、本質観取を見届けてきて、授業で折に触れて現行法を参照すると、「法律って不十分ながらも複雑な人間世界を規律するルールとしてよくできてるな、おもしろいな~(誰目線)」、と思うようになったんです。

電撃的にそう思ったというよりは、なんとなーく法というものがそういうふうに見えてきて、その上で条文とかを読んで、法体系を理解することが面白いな、と純粋に思い始めたのが倫理の授業、生徒たちから受けた影響の1つです。

 

②政経の授業から

政経ではより直接的に法を扱います。

ただ、高校公民科の場合は、メインはやはり憲法で、日常生活に密接な民法や刑法はほとんど扱わないのが現実です。

18歳成人でやや民法の内容が下りてきましたが、それでも圧倒的に法を扱う時間は少ないのです。

で、憲法分野にはそれなりに力を入れて教材研究し、色々な課題や取り組みをしてきたのですが、法学的な見方考え方をもっと深く身につけたい、とシンプルに思うようになりました。

というのは、生徒たちに憲法重要判例を選ばせて、考察させる課題をやってるんですね。生徒たちの考察は、法学を体系的に学んでいないからこそ、等身大で、ハッとするような気付きを多くもたらしてくれるもので、ディスカッションも大いに盛り上がるわけです。

そして、勤務校の理念と方針からそのような課題を設定することの意義を深く感じていました。

 

ただ、自分がその課題に教員として対峙するときに、やはり法的な角度からのフィードバックはできるようにしておきたい、そうじゃなければ法的な見方考え方を養うことにつながりにくい、と思うようになりました。

 

これは職場環境的にも修士号・博士号を持っている同僚がそこそこいたのも大きいかもしれません。私は学部卒→民間企業→教員というキャリアパスで、(教職大学院は働きながら修了しましたが)教科教育の専門性をもって教員になったわけではないことを、どこかいつも歯がゆく思っていた部分がありました。

 

尊敬する同僚、諸先輩方のように教科の専門性も磨きたい、と思っていたところ、(探究支援は教職大学院で一区切りとしつつ、)哲学、法、経済と色々深めたい分野がある中で、自分が実は食わず嫌い?というか学部時代も実はそんなにやっていなかったのが法学だと気づいたわけです。

で、上記のような課題を生徒に取り組んでもらって自分の物足りなさを感じていたところに、こんなアカウント名でブログをやっていることも相まって(!?)、

やっちゃうか

ということで対象を絞って法律の勉強をしようかなと思うに至っていました。

 

③これまでの人生から

詳細は伏せますが、家族や親族の抱える悩み事や問題に、法的知識があったらもっとうまく対応できたのだろうな、という思いがありました。

法ってだれのためにあるのだろう?

ということをぼんやり考えた時に、やはり自分のような一般人、普通に暮らそうとする人々の助けにならないと意味がないのでは、と心のどこかで思っていたのかもしれません。

 

※思い出したので木庭先生のこの本をおすすめ。生徒にもたまに勧める(実は結構難しいエッセンスを扱っているのに高校生が分かるように古典を扱いながら進めていく木庭先生の見事な技!)

で、資本主義の中で資本はどうしても資本家のもとに集積しますが、

法自体は誰にでも開かれているといっても過言ではない(いやそりゃ色々あるのはわかっているのですよ、分かっているのだけどあえてそう言いたい笑)

哲学も法もそういう側面があるよな、と思ったのも、法学の勉強してみようか、ということを後押しした気がします。

 

➃裁判傍聴の現場から

毎年生徒たちと一緒に刑事裁判を傍聴しに行っています。そこでの経験は一言ではまとめられませんが、毎回思うことは、

自分がここにいる被告人だった可能性」です。

人生は紙一重で、いつ自分が被告人のような状況、立場、行動に追い込まれていたか分からない。本当にそれは偶然でしかない、ということを常に思います。

そうすると、それなりに頑張れる環境にある人間が頑張るしかないじゃないか、といつも自分は感じ、頑張れるうちに頑張ろうか、と思ったのも後押ししたと思います。

 

また、この活動等を通じて繋がった弁護士の先生方、法曹関係者の皆さまが生徒たちの疑問にも熱心に答えて下さり、自分のやろうとしている教育活動にも時間を割いて後押ししてくださる姿を見て、法曹の姿にも魅力を感じていました。

そして、法と教育をより深く繋ぐことができれば、と思うようになっていました。

 

おわりに

他にもキャリアの掛け算で自分は何と何をかけるんだろうと思っていたとか、シンプルにマンガ『家栽の人』が大好きだ、とか理由はありますが、

そんなこんなで法律の勉強をするか、となったわけです。

 

もしこれを読んで法に興味がある、とか、ちょっと勉強してみたい、という人には、

伊藤塾のファーストトラックシリーズがおすすめ。もう少しシリーズについては解説したいのですがこの記事では割愛。

これらを読んで本格的な勉強をするか、と思い至ったわけですが、司法試験に受かるまでの道のりはまあまあ長く、自分でも「なんでこの戦い始めたんだっけ」と思うことは多々ありました。笑

次の記事を書く気力がわいたら、どんな勉強をしたかとかもう少し法の中身の部分について振り返っていこうと思います!!!