やっちゃえ先生探究記

生徒の力が引き出される「学習者中心の学び」をデザインしたい教員です。地道な形成的評価を大切に。

脳に汗をかく感覚を経験させるにはどうすれば?

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今日は今度特別授業で学校に招く留学生たちとのミーティング。いやー熱かった。帰路でスマホ投稿なので短めに要点を!

 

学校側からは英語科の先生と私。

留学生と事務局側は10人ほど。ほぼ全て英語で会議は久々で、超ドキドキしていたのですが、無事おわりました。

 

非常に優秀な留学生たちに助けられたことがすべてなのですが、初対面の面々との本気のディスカッション。本当に脳に汗をかきました。

 

彼らは忙しい試験中。博士課程に在籍している方もいました。「ゲスト」として招かれて、「で、何すればいいですか?」という態度ではありませんでした。

 

こちらの提案に対して、本気で意見をぶつけ合い、「で、君の提案はなんなんだ?」と留学生同士でもやり合ってくれました。私の勤務校の話で、年にたった1度の会。もちろん生徒のことも何も知らない。

 

なのに、手を抜かないし、妥協しないんですよね。本当に。それでいて楽しんでくれていた。

 

しかも、私たち教員が彼らに合わせすぎて、それでいきましょう!と言うと、「先生、初めの目的を忘れてませんか!?それじゃダメですよ!」とまで言ってくれたのは嬉しかったですね。

 

今日の打ち合わせを経て感じた、「生徒にも体験してほしい学びの感覚」は2つ。

①脳に汗をかく(脳がフル回転して終わった後は脳が糖分や休息を求める感覚をもつ)

 

②妥協点を探る議論ではなく、何がベストかを追求する議論に参加する

 

学校という「場」でも、この価値を実現することができると思うのです。

授業の中でできたら最高です。

 

知らないことを知ることは楽しいことであり、自分ごとで考えることの喜びと意義を知って社会に出てほしい。と願ってしまうのは欲張りな教員の性かもしれません。

 

①は英語だったから、が多分に関係しているのですが、社会科で脳に汗をかかせることだってできるはず。

 

あと、特に①の経験をするとチョコレートの美味しさがより分かります笑

同時通訳さんは本当にすごい!!

入試もあり怒涛の2月前で瀕死ですが、やっぱりいい仕事です。(白目)

あなたはどっちにつく?中国の「未来」を決めた1度きりの選択〜世界史を捉え直す〜

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歴史。それは、絶え間なく流れる大きな川。
その中のキラキラした一滴を「秘話」と呼びます―*1

時は17世紀。アジアの雄・中国の明に迫り来る終焉の時。

秀吉の朝鮮出兵。軍隊の反乱。政治腐敗。

戦費はかさみ、そのしわ寄せが民衆に。

民の心を失った時、それは中国の王朝が交替する時。

南からは反乱軍が破竹の勢いで明の首都に迫る。

北からもこの機を逃すまいと異民族の軍が押し寄せる。

北の防備を任された明の名将に入った首都陥落の知らせ。

名将は二者択一の決断を迫られます。

「もう戻るべき国はない。反乱軍につくべきか、異民族軍につくべきか。」

名将はついに決断を下します。その決断とは…!?

*1:歴史秘話ヒストリア - NHK

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未婚の私に結婚した先輩の一言が刺さった

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職場に約30歳の男性の先輩がいます。優しくて真面目で素敵な先輩です。

当然素敵な先輩には当時から恋人がおり、先日(と言ってもかなり前だけど)めでたくご結婚されました。最近、第一子が生まれ、さらに幸せそうな毎日を過ごされています。

その先輩の一言が刺さった話。

 

◯20代男性にとっての結婚

結婚式に呼んでもらえることもぐっと増えてきた20代後半。

同年代の特に女性に押し寄せる「周りの友人らが続々と結婚・出産していることへの焦り」を私は感じていません。

こういうと誤解を招きかねないのですが、男性として女性目線でよく言われる30歳〜40歳の「生物学的なリミット」を今後も感じないような気がしています。感じるのかな・・・?

 

「結婚」はいつかしたいし、いつかするものだとは思ってはいても、「今」結婚したい、や、「そろそろ」感をあまり感じません

もちろん、恋人の様子・会話から、恋人がそういう気持ちを持っていること等はわかります。それに刺激されて、「そろそろかな」と思ったりはします。が、(残念ながら)内発的に自分の中からその意思が出てくるわけではないのです。

 

◯そんな私に先輩から一言

そんな阿呆な私は、冒頭で紹介した先輩に聞いてみたのです。

私「先輩、結婚したいって思ったんですか?」(不躾)

先輩「んー結婚したいっていうか、まあそろそろかなって」

私「なるほどー、なんか結婚ってするタイミング本当わかんないですよね、焦りとかないんですよ‥」

先輩「おれもなかったよ笑 特に何歳までに結婚!とか目標もなかったし」

私「そしたらどうやって結婚決めたんですか?」

先輩「この人と一生いるな、って思ったことが大きいかなーー」

私「かっこいいっすね!いやーでも結婚するのに踏み切るタイミング難しそう‥特に何か理由があるわけではないですけど、まだ早いかなって思いませんでした?」

 

(一際大きな声で)

先輩「男の立場で言えば、結婚しない理由なんていくらでもあるんだよ!

 

◯この名言たるや。

すでに結婚されている男性の先輩方からしたら、当たり前なのかもしれません。

結婚「しない」理由なんていくらでもある

年齢、仕事、お金、将来の夢、決めきれない理由なんて大量にわいてくる。だから、結婚しない理由はいくらでも作れるし、見つかると言うのです。

「結婚しない理由」を全て解消して、「結婚する」なんてあり得ない。

と先輩の言葉を解釈しました。

逆に言うと、全てを凌駕する「結婚する理由」も見つからない。 ということでよいのでしょうか。

その先輩の言葉が刺さって以来、「結婚しない」理由を探すことや、「結婚する」理由を探すことにあまり意味はないのだと私は勝手に悟りました。

 

◯じゃあどうやって決めるの?

こればっかりは「タイミング」なんでしょうか?あとは、恋人の意向ですかね何よりも。

職場でも「結婚」の話をなかなかしない昨今。(ですよね?)

「結婚」の先輩方に、「結婚」の話、教えて頂きたい限りです。

ちなみに2016年の結婚に関するデータでは以下のようなニュースがありますが、平均結婚年齢は夫が30.7歳、妻は29.0歳だそうです。

 

news.mynavi.jp

女性も29歳というのはびっくりでしたが、確か女性の初産の平均年齢が33歳、と先輩がおっしゃっていた気もします。

それにしても

結納とか、話を聞くたびに「うおおおおお私には無理。」と思ってしまいますね。いざするとなったら無理も何もないんでしょうが、指輪もそうだし、薄給の教員にお金がいくらあっても足りません。笑 

あ、でも子どもが生まれてパパになった友人をみると、結婚したいと思います。

教員としても、やっぱり家庭があった方が親や子どものことが分かるのだろうとも思うので、いつかは!!!

大企業時代の人事の先輩の忘れられない一言と私のエゴ

Drunk

 先日、昨年の卒業生が訪れて私の元にも足を運んでくれました。嬉しい瞬間です。

その生徒は「高校の先生になりたい」という明確な進路希望があり、現役進学、教員養成課程に在籍しています。

私「大学生活はどう?勉強の方も充実してる?」

生徒「はい、めっちゃ楽しいです!!」

私「それはよかった、どんなこと勉強してるの今は?」

生徒「やっぱり教員養成なんで、教員になるための勉強ですかね〜最近面白かったのは、この前やった「引率の仕方」ですね!」

 

◯引率の仕方…

先ほどの生徒の答えに対し、すぐさま私は「え、どんなこと学ぶのそれ!?」と聞き返し、生徒は意気揚々と学んだことを答えてくれました。

行事の教育的意義や、引率の上で欠かせないことをしっかりと学んだようです。

が、本当にそれでいいのだろうか。

その学びに

私は、生徒に真剣に言いました(おせっかい)

「いや、楽しく学んでるなら本当に何よりなんだけど、

ぶっちゃけて言うと引率の仕方なんて学校によってやり方が違うし、

現場でいくらでも鍛えられるんだから、

せっかく大学に行って教職を目指すなら、自分を豊かにする学びをして、

世界を目一杯広げてほしい。自分という人間を豊かにするために学びなよ!

 

「やりたいこと」すら分からない、はっきりと見えない(私もそうでしたが)高校生がたくさんいる中で、「教員」という明確な目的を持って進学した生徒です。また、素晴らしい人柄です。だからこそ、もどかしかったですね。

生徒は「先生、相変わらずでよかったです笑」と言っていましたが、

「引率の仕方」という方法論に満足してほしくないと強く思ってしまいました。ホントにそう思うのです。

教員として市場価値を高めるためにも、もっと他領域にもかけて、広く、引き出しを増やしてほしい。そのための価値観をつくっていってほしい。と願うばかり。

 

多様な生徒には、多様な教員が必要です。

教員養成学部だけでなく、幅広い学部から教員になれるのが日本の強み。

企業に行った優秀な皆さんには、早く教育界に来てほしいと心から言いたいです。

そう思うのには理由があります。

 

◯大企業時代の人事の先輩の忘れられない一言

教育実習も修了し、教員免許を取得して民間企業を選んだ友人もいます。

かくいう私も最初の進路は民間企業でした。しかも全国的に名が知れた大企業。

しかし、さくっとやめたのでこの教員生活がはじまりました。

 

さくっとやめなければ、企業から抜けられなかったでしょうね。

特に、若手〜30代の昇給曲線・福利厚生・結婚・出産・育児について考えれば考えるほど、大企業の魅力は増すばかりです。

現に、仲の良かった人事の先輩は、

「教員になりたいんだったら早く辞めたほうがいいよ!!これから会社の戦力として間違いなく仕事してくれるだろうけど、逆に最初の志がどっかいくよ。

僕(先輩)もね、志もってたけど、30で結婚して、子どもが出来て、もう辞められないもん。この給料もらっちゃって、守るモノができたら志よりも優先だからね。奥さん仕事してないのもあるけどね。だから、変な話、僕は早く辞めたほうがいいと思ってるよ、人事なのに(笑)」

 

その会社に入る前から持っている「志」があるなら、早く辞めたほうがいい。

というこの人事の言葉は今も刺さっています。

 

人によって境遇は違えど、辞められなくなる前に、社会に貢献する方法として、教員を選ぶ人が増えてほしいと心から願います。

教員は本当に「自分」で勝負しなければいけません。こんなに試されることも背筋が伸びることもないと感じます。

「人が育つ」ことに本気で携わることは、一度の人生をかける価値のある仕事です。

 

現場はおもしろい。ただそれを伝えたいのと教員界の人材の固定化を嘆くエゴ記事でした。失礼しました。

天才最年少棋士を育てた教育法とは? 〜好きなことベスト3も「天才」だった〜

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この青年*1のことをご存知でしょうか?

将棋界を席巻し、「天才」と呼ばれている棋士藤井聡太四段です。

彼がなぜ注目を集めているかと言うと、史上最年少の14歳でプロ棋士の仲間入りを果たしたから。中学生プロは史上5人目の快挙です。

(あの天才・羽生善治さんも、中学生でプロ入りしています。)

 

◯デビュー戦が「天才vs天才」

先月、ついにデビュー戦を迎えたのですが、

このデビュー戦の相手が、史上初・中学生プロ棋士である加藤一二三(ひふみ)九段 *2だったのです。

藤井聡太四段が今回最年少記録を塗り替えるまでは、この加藤九段が「史上初かつ史上最年少の中学生プロ棋士」の記録を持っていました。

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なんという豪華な対局でしょう・・!!

しかもこの加藤九段は、現在の最年長棋士でもあります。御年76歳

ひふみん」の愛称で親しまれ、対局中にチーズを食べる、チョコレートを8枚重ねて食べるなど、様々な伝説の持ち主として知られています。笑

 

そんなこともあり、全国的にこの「天才vs天才」、62歳差の対局に注目が集まったのです。そのニュースがこちら。

なお、対局の様子は、ニコニコ動画で生中継までされました。


初めて尽くしの62歳差対局 加藤・藤井真っ向勝負(16/12/24)

加藤九段は、19世紀生まれの棋士とも戦ったことがあるので、19,20,21世紀生まれの棋士すべてと対局経験を持つ唯一の棋士だということです。

もうすごすぎてよくわかりません。笑

 

◯「天才」対決の結果は・・・

 さてその天才対決。結果はどうだったかというと・・・

藤井四段の「8五歩」が決定打となり、12時間を超える対局で勝利を収めました


最年少藤井が白星デビュー 将棋、最年長の加藤破る

昨日のNHKクローズアップ現代で再特集されていたのですが、このサイト、TVを観ていない人でも観たかのような感覚に陥れるくらいよくできているので、気になる方はこちらをどうぞ。羽生さんもびっくりしてました。笑

www.nhk.or.jp

藤井聡太四段の好きなことベスト3は??

あまりに対局が面白すぎて脱線していました、すみません。笑

で、タイトルに戻りますが、この番組中でも紹介されていた藤井四段の「好きなことベスト3」を聞いて私も「ああ、天才だなあ。」と思ったのです。もう答えを出してしまいますが、

1位:詰め将棋

2位:将棋

3位:詰め将棋をつくること

です。笑 天才は考えることが違いますね。

天才が天才たる所以は、「自分のしていることをつらいと思っていない」ということだと思いました。努力をしんどいと思わない、純粋に好きでとんでもない量の努力が出来る。まさにこれこそが天才の条件だ!と彼の話を聞いて思わされましたね。

ではその藤井四段を育てた教育法は何だったのか??と気になったので調べてみると…やっぱり「普通」ではありませんでした。

 

◯想像力と集中力の秘訣、モンテッソーリ教育

教育をかじってみると、「モンテッソーリ教育」という言葉に出会ったことがある方も多いと思います。日本では認知度がそこまで高くありませんが、その一風変わった手法故に、注目していた方もいるでしょう。

モンテッソーリは20世紀前半に活動したイタリアの精神医で、遊びを仕事として取り入れる教育法を確立した。その教育法は、日常生活の練習、感覚教育、言語教育、算数教育、文化教育の5分野に分かれ、多くの遊び道具や知能教材を使う特徴がある。(太線は筆者)*3

藤井四段は、このモンテッソーリ教育を行う幼稚園に通っていたそうです。

モンテッソーリ教育の根幹にある考え方がこちらです。

「子どもは、自らを成長・発達させる力をもって生まれてくる。 大人(親や教師)は、その要求を汲み取り、自由を保障し、子どもたちの自発的な活動を援助する存在に徹しなければならない」

さらに、方法論についてもこのような記述があります。言葉の使い方も独特ですね。

『子どもの家』では、子どもたちに自発的な活動に取り組む自由を保障し、そのために「整えられた環境」を準備します。 「整えられた環境」とは、次の4つの要素を満たすものです。

  1. 子どもが自分で自由に教具を選べる環境構成。
  2. やってみたいなと思わせる、おもしろそうな教具。
  3. 社会性・協調性を促すための、3歳の幅を持つ異年齢混合クラス編成。
  4. 子どもそれぞれの発達段階に適した環境を整備し、子どもの自己形成を援助する教師。

モンテッソーリ教育においては、教師は「教える人」ではなく、子どもを観察し、自主活動を援助する人的環境要素です。

詳しくはこちらのページをご覧ください。モンテッソーリ教育について | 公益財団法人 日本モンテッソーリ教育綜合研究所

 

いずれにしても、幼少期のこのモンテッソーリの方法が藤井四段の成長に大きな影響を与えたのではないかと思われます。NHKの番組でも、幼稚園時代のタングラム?ブロックパズルのエピソードがありましたが、モンテッソーリの影響だったのか〜〜〜と膝を打ちました。

 

私自身は子育てしている身ではありませんが、子どもの教育に携わる身として、やはりこういった環境は気になりますよね。日本の典型的な「教育」に一石を投じる方法として、改めて興味を持ちました。

実際に遊んでいる幼児の動画も載っています。英語ですが,映像で内容は伝わります。

www.youtube.com

中高生を教えている身ですが、この幼稚園のような「ハード面」の環境は本当に大事だと痛感します。いくらICTといっても、それを効果的に使う設備・環境がなければ、ただのツールでしかありません。(今日そういう時間を痛感したのです 汗)

というか、今後「場づくり」のできない教員は不要とされる時代がくるでしょう。

教育内容だけでなく、教育環境の設計ができなければ、

ネットにいくらでも知識は落ちているわけです。

この変化にどんどんのって、「やっちゃえ」と生徒と一緒にやってみる、そんな遊び心をもって生活したいものです(遠い目)笑

あなたは知ってる?ヨーロッパがモンゴルの支配から逃れた、たった1つの理由(後編)

Palace of the Great Khaan

時は13世紀。モンゴルの時代。

圧倒的な力を背景に、世界各地を支配下に置いていくモンゴル。

ヨーロッパも例外ではなく、モンゴル軍に大敗。

「このまま、ヨーロッパも支配されるのか…」と誰もが思った矢先、

突然、モンゴル軍が一斉撤退。

結果的に、ヨーロッパの大部分はモンゴルの支配から逃れ、

現在に至るまでモンゴルの支配下に入ることはありませんでした…

いったいなぜ、快進撃を続けたモンゴルは引き返したのでしょうか?

そこには、悲しい運命と、人間の性が隠されていました…!

 

今日は前回記事の続編です!

yacchaesensei.hatenablog.com

 

◯なぜ、バトゥは引き返したのか!? 

出生の疑惑から、不遇の身にあったバトゥ

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そんな中、当時の指導者オゴタイが与えた千載一遇の大チャンス。

この一世一代の大勝負を完璧に生かしたバトゥ。

破竹の勢いで西へ西へと勝ち進み、ワールシュタットの戦いでヨーロッパ勢力も撃破。

このままヨーロッパでもモンゴル軍の快進撃!!と誰もが思っていましたが、

突如バトゥの軍勢はヨーロッパから引き返し、モンゴルへ戻っていったのです。一体バトゥに何があったのでしょうか‥?

ヒントとして、

「バトゥはどんな予測不可能な事態が起こったらモンゴルに帰るか?」

を考えてみてください。きっと現代の私たちでも、バトゥと同じ行動を取る人が多いでしょう‥。という流れで前編を終えました。

字数の都合で分けたのですが、じらしたようになってしまいすみませんでした。

では答えを申し上げましょう!!!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◯オゴタイの死…

このままヨーロッパに突き進む、と思っていた矢先、訃報が入るのです。

部下「オゴタイ様が…オゴタイ様が逝去されましたっ…!!」

1241年12月21日のオゴタイ死去から約3か月後(当時の交通手段から言うと妥当な数字と言われています)の、本国からの使者による訃報でした。

「え…でも遠征中なら引き返さずに攻めてもいいんじゃない?」と思われる方もいらっしゃるかもしれません。

ここで大事なことは、月並みですが、バトゥの気持ちを想像してみて下さい。

不遇な自分にチャンスを与えてくれたのはオゴタイです。

オゴタイがいなければ、今の自分はない、ということをバトゥは誰よりも感じていました。つまり、バトゥにとってオゴタイは、恩人です。

自分を見出してくれたオゴタイの死は、バトゥにとって大きなものでした。

訃報を聞いて、バトゥはヨーロッパから急遽引き返すのです。

※一説では、オゴタイが死ななくてもバトゥの遠征はここまでだった、という見解もありますが、私はそうは思いません。なぜなら、訃報を受取った後も攻撃中の街を落とし、部下に追撃させているからです。具体的には、部下の侵攻はウィーン近くまで迫っていたのです。それでも、総帥バトゥは引き返しました。総帥を失った部下の侵攻はそれ以上進むこととができず、勝ち取ったハンガリーも放棄して帰還しています。

 

◯ヨーロッパがモンゴルの支配から逃れた、たった1つの理由とは

バトゥが引き返した理由が分かった所で、記事タイトルの問いに戻ってみましょう。

この問いに答えるならば、ズバリ

「オゴタイが亡くなったから」です。

なんという偶然、なんというタイミングでしょう。

「歴史に”もし”はない」という格言がありますが、”もし”を考えずにはいられません。

「もしオゴタイが死ななかったら…」を想像すると、

バトゥは更にヨーロッパ中央部・西部へ進入していたでしょう。

そして、当時の中世ヨーロッパは、十字軍の勢いも弱くなり始め、イスラーム勢力に勝ちきれずにいた時代です。戦費がかさみ、教会組織の膨張も限界点に達しています。

キリスト教が力を発揮するのは、「別の宗教」に対して団結した時です。モンゴルは、宗教結社ではありません。ヨーロッパが「VSモンゴル」で団結できたかというと、微妙でしょう。

むしろ逆にモンゴルと手を組んで、ライバル国・諸侯を滅ぼそうとする勢力が出ていたかもしれません

いずれにせよ、バトゥ(モンゴル人)がヨーロッパを支配する…という想像をもってしまいます

そう考えると、「オゴタイの死」が「ヨーロッパ」を保つ上で非常に大きな役割を果たしたことが伝わるでしょうか…

 

◯バトゥが勝ち取った領域を国に!

あなたなら、国名は何にする?

最後になりますが、「じゃあバトゥが勝ち取った地域はどうなるの?」という問いを考えてみましょう。

モンゴル〜南ロシア〜東欧に至るこの地域には、バトゥの国がその後も存続することになります。大モンゴル帝国の一部ですが、実質的にはバトゥの国です。

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あなたなら何と言う国名をつけますか?

(生徒に問うと、バトゥの名を国名に入れる回答が多いです)

ちなみに、高校世界史ではこの国を一般に「キプチャク=ハン国」と呼びます。キプチャク高原を中心に展開した国だからです。

でも、実はこの「キプチャク=ハン国」よりも使用されていた国名があるのです。

ここでも大切なのはバトゥの気持ちです。

 

◯バトゥが感謝している人は誰だろう?

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もう一度家系図を掲載しますが、バトゥが感謝している人は、オゴタイの他にもう1人いるのです。この家系図の中に…。

そう。正解は、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

父親のジュチです。

不遇な扱いをされながらも、自分を育ててくれた。

遠征に次ぐ遠征がたたり早くに亡くなってしまったけれど、まぎれもなく今の自分があるのは、父・ジュチによるものです。

(ここは私の脚色ですが)だから、バトゥは自分の名ではなく、「お父さん、ありがとう」という感謝の思いで

「ジュチ=ウルス」(ジュチの国)と名付けたのです。

wikipediaも、ジョチ・ウルス - Wikipedia を正式名称としています。

 

◯おわりに

いかがだったでしょうか?

歴史を「過去の事実の羅列」として捉えるのではなく、「そのときを生きた人々によるストーリー」として語り直すことで、生徒もぐっと食いついてくれます。

歴史を学ぶことは、過去と現在と未来をつなぐことだと考えます。「人間」っておもしろいなあ、と教えている自分が一番感じていますね。笑

「人になるには小さいときから、良い馬になるには子馬から」
(どんな人になるかは、小さいときから始まっている)

というのはモンゴルのことわざ。

教育に携われることに感謝ですね。また来週も授業が楽しみです。(明日土曜日も仕事だということに今愕然としています…笑)