久々の更新。11月は圧倒的に残業せざるを得なくなっています。汗
そんな日々の間隙を縫って出席したとある研究授業。目玉となる授業は40人くらいの見学者が入る盛況っぷりでした。
最近の研究授業といえば
レクチャーを聞かせるだけの授業を「研究授業」と言いづらくなったのか、学齢・教科を問わず生徒がディスカッションをしたり発表したりしています。
「主体的・対話的で深い学び」に誘うための仕掛けとして、そういった学習活動を授業デザインに組み込んでいることがほとんど。
ということで、観る側も「ああ、ジグソーか」と思ったりしながら観ているものです。
※とわかった気でいるけど、これ↓をちゃんと読まなきゃな…
ジグソー法がメインでも
そういう構えを持って観ている見学者がほとんどだと思うのですが、じゃあ実際に「どこを観ているのか?」というと結構違うように見えるのです。
実際に先日の研究授業ではジグソー法がメインの活動でした。
これは確信に近いのですが、学齢・教科を問わず、生徒がグループ活動をしているときに絶対すべきことはこれ↓だと思っています。
研究授業を観るとき、生徒のグループ活動とか対話は絶対にちゃんと聴くべき。文字起こしするレベルで。なぜなら生徒の対話を聴かないと何が起きているかあるがままを掴めないし、授業のデザインを独善的に解釈してしまうから。しかも、普段その傾聴は授業者としては絶対にリアルタイムでできないから。
— やっちゃえ先生@2つのPBL (@Yacchaee) 2019年11月19日
生徒の声を聴け
繰り返しますが、生徒のグループ対話が生まれている場合は、1つのグループに特化して張り付いて観るべきだと思っています。
その理由を簡単に整理すると
①授業デザインを勝手に解釈してしまうから
教員というのは勝手なもので、人様の授業を観てはわかった気になってしまうものです。「私ならこうするな」「今のはうまくないな」とか批評的な視点で見学させていただいている授業を観てしまう。
もちろん、的確な批評は必要なのですが、その前に、「生徒のことちゃんと観てますか?」と思わずにはいられない。
授業者が日々の生徒を観ながら、どんな狙いでこの学習活動を組織しているのか?は生徒の姿を観ないとなんとも言えないはずなのです。
生徒の姿を見ずに、授業デザインだけ観て分かった気になるだけなら、指導案とにらめっこしていればよいですよね(過激派)。
②普段、絶対にできないから
40人クラス等を担当して、授業者として生徒の対話を必要とする授業を作った場合、一つ一つの対話を丁寧に聴くことは事実上不可能です。
私の場合は、時間の管理や、停滞しているグループへの働きかけで頭がいっぱいです。
つまり、一つ一つのグループで起きている学びのあり方を注意深く、リアルタイムで見つめることはできないのです。
でも、見学者という立場であれば、それができます。
授業者の立場からしても、見学者の方から「私あのグループ見ていて、こういう会話をしていたんですけど、それは事前学習の内容ですか?」などフィードバックが頂けたら大変ありがたいです。
学校現場でよく聞く「見取り」というのはそういうことを指すのであって、なんとなく授業を頭の中で解釈して良し悪しを判定する品評会ではないと思うのです。
とは言え、配慮もするよね
とまあ好き放題言っていますが、生徒の通常の学び方に干渉しないように配慮すべきではあります。
たまに生徒の話に入っていく(話しかけられたならまだしも)教員がいますが、どうなんでしょうね。授業者の立場からすればありがたいような、困るような。
まあ、学校を社会に開くという意味では、「授業中に。見学している大人に話しかけちゃいけないなんて学校が閉鎖的な証拠だ」と言われかねない気もしますね(笑)
話を戻して、
実際に前回の授業では、教室の密度も結構高かったこと、授業者や生徒への配慮も踏まえて壁に張り付いたまま虚空を眺めている見学者が周りに結構いたこと、これが驚きでした。
ある意味グループワークのディスカッションは授業全体の展開としては「停滞」に見えるので虚空を眺めてるのは本当にもったいないと思います。
生徒の声を聴こうよ
繰り返しますが、生徒の対話は絶対に聴くべきです。
全て聞き取れるくらい生徒の近くで!そうすることで初めて、授業のありようがわかり、生徒の変容を企図する力もついていくのではないか、と思うのです。
教室の後ろで地蔵になって問いレベルのテコ入れに頭巡らせてるなら指導案見てれば良いのであって、何のために「場」に来たのか、と思う過激派。笑
おわりに:学びの原体験の不足?
ある意味、これは授業をする私たちがそういう学びを経験してきていないことの表れかもしれません。
言い換えれば、診断的評価や形成的評価の体験不足なのかもしれません。
今生徒たちはどういう状態なんだろう?という状況をつかみ、形成的なフィードバックをしていく、という学びを自分が体感していないから、評価といえばほとんどが総括的なものになってしまう。
テストだけじゃダメだよね、と思っていても、生徒の「(総括的な)授業コメント」で満足してしまう。
そうではなくて、学習科学の知見をやっぱり反映した学びを作れる教員が求められていると思います。このご時世、困難ばかりだけれどね…
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