探究学習の発表会が一区切りしました。
中には、チームで探究することがうまくいかず、個人プレーに走ったり、非協力的・攻撃的な言動を取ってしまう生徒が少なからず存在します。
そのような状況で生徒の自主性に任せて「たまたま」うまくいった、のなら再現性がないよなあ。どうすればいいアドバイスができるか?とモヤモヤ考えていました。
要は「協同する力」を、どのように育めばよいか?ということです。
そんな今日ですが、こんな調査結果をたまたま知ることになって驚きました。
日本の15歳の協同問題解決能力は世界で2位?
ウソでしょ?と思うのですが、報告書から抜粋すると間違いなく、2位です。OECD加盟国の中では1位とのこと。
ちなみに、PISA2015 年調査における協同問題解決能力とは、
「複数人が,解決に迫るために必要な理解と労力を共有し,解決に至るために必要な知識・スキル・労力を出し合うことによって問題解決しようと試みるプロセスに効果的に取り組むことができる個人の能力である」
と定義されています。
この力を測るためにどのような調査が行われたかと言うと、
ザンダー国という架空の国に関するクイズに対して、コンピュータ上の友人(あかねさん、三郎君)とチャットを用いて相談しながら答えようとする場面設定でした。
この設定の下でチャットが進んでいき、協同のためにはどの答えが最も適当かを4択のセリフの中から選んでいく問題です。
1問目はこういう感じ。
こんな感じで、チャット上で他の2人と「協同」しながら一つの問題に取り組んでいきます。チャットに投げる言葉として適切なものを選んでいく設問が続きます。
気になる方はこちらの2015年のPISA(生徒の学習到達度調査)アクセスしてみてください。
2位の結果は、課題探究のおかげ?
この調査結果をふまえて、文部科学省の「総合的な学習の時間の成果と課題」資料を眺めると、こんな言葉が。
ただ個人的には、「本当にそうなのか?」という疑念がぬぐえません。
理由は、先ほどの3人のチャットのような状況で、「チームの学びを次に進めるための発言ができる」ことを協同力の根拠としているからです。
それって、課題探究型学習や総合的な学習に取り組んだから、できるようになったことなのでしょうか?
もちろん調査ですから、当然言動レベル(認知レベル)でしか測定できないのだけど、本当の「協同力」を行動レベルで測る難しさを感じました。
日本の15歳の正答率が低い問題
OECD1位だった日本が、その平均を9%下回る正答率だった問題。
この「チームの学習のために言わなきゃいけないことをちゃんと言えるか?」という質問は、いわゆる“日本人”が苦手とすることのような気がします。
私見では、選択肢1を選ぶ生徒も多そうに思います。
実際に授業をデザインする立場として、生徒たちの探究の様子を見ていると、目に見える人間関係が学びの前提となっています。
探究学習は授業時間外に思考や協働を求めるケースもあります。
部活や課外活動など、色々な変動要因が個人個人にある中で、モチベーションも違う、問題関心も違うチームで探究を行うときに、波風立てずに「感じのいいひと」でいたい気持ちを(無意識に)もつ生徒が多いはず。
なので、こういう「言わなきゃいけないことをズバッと言えるか」問題になると正答率は下がるのは納得です。
逆に前半で出したような問題なんかは、あかねさんの発言を拾うもの、つまり、人間関係を損ねないものが正解であるのだから、そりゃ正答率高いよな、と思うわけです。
調査の妥当性を疑うとまではいかないけれど、この調査をもって「日本の子どもの協同問題解決力は高い」と言うのはややミスリードな気がするし、それを聞いて安心するのは少し違うのかなあ、と思いました。
真の課題は
自分が担当させてもらっている生徒の習熟度レベルは次の1~4のどこに当てはまるのか…。
「4」の「人に要請」は大人も難易度高いです。
でも、同質性が高く、他との異質性を感じにくい、出しにくいコミュニティでは「4」の生徒は育たないと思ってしまう。
その意味で、真の課題は
同質性の高い人間関係の流動性をいかに高くするか?なのだろうと感じます。
生徒ひとりを変えようとするのではなく、生徒ひとりが「自己」を発揮できることが教育、であれば、そのような環境づくり、仕組み作りに自分は興味があるのだなあと思う。
例えば、HRに縛られない、(探究)学習の場数も大事だと感じています。
おわりに
じゃあどうやってこれから協同力を高めていけばいいの?
という問いに関しては、「探究」が1つのカギになると思います。
こたえのない学校さんのこの記事は超良記事。是非ご覧ください。
※沢山の車輪を継続的に回すイメージを螺旋で表す人も多いですが、ここでは敢えて、螺旋では表示しませんでした。私のイメージではもっと歪なものであったり、その時によっては一つ車輪を回して、しばらくほっておいて、数年後にまた次の車輪が回り始めるような非連続なケースもあると考えています。いずれにせよ、こうした探究のイメージは自分がしっくりくる表現を見つけるのが大事だと考えています。
とのこと。そう考えると、個人的にはこのモデルが一番しっくりきました。この記事呼んだ時に思わず「うお、これだ」と声が出てしまいました。藤原さんありがとう!