先日担任しているクラスの芸術の授業を見学し「いやあ、学びが多い!」と実感しました!
限られた授業時間
前提として芸術科は授業時間が少ない。
芸術科目の多くは配当時間も少ないので、週1~2の授業。そこで全員が演奏や製作を行って何か成果を残す指導を確立しているのだからすごい。
— やっちゃえ先生@論文の春 (@Yacchaee) 2019年2月25日
さらに一人一人の進捗や技能は異なるので、カンファレンスもしている。声かけも「より良いものを作るにはどうしたらよいか」を徹底して生徒に考えさせていた。
高校の普通科における芸術科目は、週1~2回が普通でしょう。公民科と変わらない。
その中で、美術であれ音楽であれ書道であれ、作品や演奏などのアウトプットを行うことが前提になります。
定期試験という【成功】と【失敗】を序列化で意識づける方法で成果を測るのではなく、一人一人にどう成果を発揮させるか、が重要。
限られた時間で全員にアウトプットを求めるための指導・手順は練られています(それは同時に画一化、固定化になりうるし、生徒の時間外の持ち帰り作業が発生することもあるでしょうが)。
自由に・黙々と・自然に
美術の制作が一番イメージしやすいですが、生徒たちが自由な席・場所に陣取り、そこで黙々と制作に打ち込んでいるのです。
でも、必要なときには生徒同士で
「ねえ、この色だと暗すぎる?」
ー「いや、むしろもっと暗くても全体が締まる、(この作品の)何が出したいの?」
「もう少し落ち着いたトーンを出したいんだよね」
ー「ならこの色じゃまだ弱いくらいかも、って私は思うかなあ〜どうだろう」
なんてやりとりが発生している。
もちろん、これは割とマジメなやりとりで、もっと砕けたじゃれ合いのようなやりとりもたくさん見られる。
別に教員から指示されたものではないけれど、生徒同士が同じ「作り手」としてコミュニケーションをとる姿はとても微笑ましく、その存在がもう互いにとって大事な学びになっていたと思えます。
勝手なやりとり
いい意味で、「勝手な」やりとりが続いていました。これは5教科などのアカデミック科目だとどこまで許容できるか?の線引きが難しい。
「必要な時に必要なことをやってほしい」
というこちらの枠に、生徒をはめたくないのにはめようとしてしまうのは全部自分いや時間割のせいなので反省。
明らかに上の空でどうでもいいことを話してしまう生徒に目くじらを立ててしまいグッと堪えることを経験した教員は数知れずだと思うのだけど、美術の授業見学で「堪える」という発想にすらならなかったのはなぜだろう。
自然発生カンファレンス
生徒同士の「勝手な」やりとりがある中で、先生も様子を見ながら生徒に働きかけます。
カンファレンスについては、『イン・ザ・ミドル』のこちらの記事にもまとめています。
ほとんどの場合、生徒は私の助言を受け入れます。通常、私の助言は信頼でき、そのおかげで作品がよくなるとわかっているからです。しかし、私はクラス全員に「もし、私が余計なことを言ったら、そうだと言ってね」と伝えています。書き手として自分で書く題材や目的を選んで創作する生徒たちには、自分が何を伝えようとしているのかを説明し、主張するだけの力もついているのですから。
www.yacchaesensei.com
カンファレンス、という位置付けすらしなくても自然にやりとりが生じている様子。
教員はそれを記録はしていないようでしたが、作品は乾かしたりするために美術室に置かれているので、それを見ながら次の声かけを考えたり、作業段階をみて進捗を把握しているそうです。
5教科の教員としては、生徒の「したこと」が目に見える形でそこにあるのがうらやましい!と思うのだけど、そういう授業を作ればいいんです、はい。
〈驚き〉と〈導き〉
しかも、生徒は制作のプロセスを楽しんで、熱中してやっているのですから、当然のびのびとしています。あっという間の1時間。
教員目線でも、
- 生徒の発想や工夫に対する〈驚き〉を感じつつ
- さらに引き出すためにどうしたらよいか、という〈導き〉のために自分が必要とされる感覚をもてる
そんな思いを持ちながら授業が進む環境。とても素敵でした。
つくることで学ぶ
少し話をカリキュラム視点に変えてみると、
本来つくることと学ぶことは切り離されるどころか一体であったはずなのに、いつからそれが離れて行ってしまったのだろう。
美大や芸大など、作ることで学ぶ人があたかも別次元にいるかのような気がするけれど、誰だって幼少期に何かを自分の手で作ろうとしたことはあるはず。
そのときの没入感、自分だけの作品、そういったこだわりや情熱があったはず。

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⬆️こちらは書評記事も書きました。
表現そのものを、したい
しかも今はSNSなど自分を表現できるツールが山ほどある。
でも、学校現場で表現を求めていない、というのはなぜなのだろう。
正確にいうと「正しい」表現ばかり求めてきてしまっているのではないだろうか。
没入を生み出せる学びをどれだけ実現できているのだろうか。
High-Tech-High
そしてHigh-Tech-Highも思い出さずにはいられません。
教育関係者は本当に必読です。
— やっちゃえ先生@論文の春 (@Yacchaee) 2019年1月24日
去年の風越コラボで"Most Likely to Succeed"が上映されてHTHを知ったけど、唸ってしまった。
学校のリソースが豊富で「作ることで学ぶ」を体現していたのはホントに羨ましい✨140字じゃ語れない!
教員は専任ではなく1年契約でも満足気だったのも印象的。 https://t.co/laaq7ShRQn
先日この学校の話を生徒としていたら、こんな反応が。
「倫理とかで考えたことを『もの』づくりに落とし込む学校があるんだよね〜」と話したら「めっちゃいい〜今からやりたい!超楽しそう!」と生徒たち。
— やっちゃえ先生@論文の春 (@Yacchaee) 2019年2月25日
芸術の授業で見せる黙々と取り組む表情や、和気藹々とやり取りしながら作り込む表情を見ると本当にそうしたい。大人の都合で教育を切り分けている💦
高校は美術は全員必修ではなくて芸術科目の選択です。
図工のある小学校や、美術・音楽・技術家庭・書道などがある中学校がうらやましく感じます。
おわりに
普段の生徒たちの様子とは違う姿を、芸術の授業で見てまた新たな気持ちにさせられました。ということでなんとなくまとめ。
- 生徒は限られた時間でアウトプットする
- 生徒は自由に・黙々と表現する
- 生徒は自然に学びあう
- 教員は自然に一人ひとりとやりとりする
- 生徒に驚く楽しさを味わえる
- 生徒を導くやりがいを感じる
- 「作ることで学ぶ」を取り戻す
そして、あすこまさんのこちらの記事は本当に面白いです。引き出す力もすごい…