2019年に入り、高校3年生の授業がなくなり、部活もピークではなくなりました。
論文を書いたり、担任させてもらっているクラスのことをもっと丁寧に見たり、授業でも一人ひとりの大福帳をしっかり返信したりできると思っていたのです。
ところが、現実はそうはいかずあっという間に2ヶ月が過ぎ、3月。
精神的な負担
結局2カ月間何をしていたのか、と言われれば通常のように分掌の仕事をし、入試のための準備を担い、来年度に向けてビジョンを描きつつ、普通の毎日。
だけど、圧倒的にこの冬は精神的な負担がこちらにも大きくのしかかったと感じています。
冬は授業の多くが、通常の講義ではなく、1年の集大成としての生徒主導プロジェクト型学習であり、それを1人でマネッジするのはなかなか骨が折れた。
ツイートが良い日記がわり
どんな気持ちだったかはツイートを見れば赤裸々である。
①疲弊する生徒
「考えることが好きだ」という生徒が、協同学習の名を借りた過重負担、受験への不安等々の理由から「考えることが嫌になっちゃいました」と。
— やっちゃえ先生@論文の冬 (@Yacchaee) 2019年2月21日
色々思うことはあるが、凹む。力不足。悔しい。困難にぶち当たってこそ成長、とは言えない。受け止めるので精一杯。授業デザインが甘い。自戒のため記す。
➡️これは辛い言葉だった。表情も、絞り出しつつも放り投げるように言ったあの言い方も、結構こちらもショックであった。「この生徒にこんなことを言わせてはいけない」と今でも思う。こう言わせた課題を来年度どう解消していくか。
最近のrofuさんのこれ絡みのツイートは考えさせられます。うちの学校も今学期はレポートが一度に4〜5つくらい出て、生徒がさすがに大変そうでした。どんな魅力的な課題でも、生徒のキャパシティを大幅に超えたらだめですね。探究型中心の学校は、宿題にしないデザインも大事ですね。
— あすこま (@askoma) 2019年3月4日
➡️結局、こういうことなんですよね…1人であがいても仕方ない。
色々策は練っているし、手札はある。ただ、手札の有効性を確かめられないまま年度が終わってしまうことに自分の中でのストレスかな。
研究対象が動かないモノだったらどれだけ楽だろうと思ったりするけど隣の芝が青いだけ。
②人間関係のトラブル
余裕のない中でしゃしゃり出るといけないんですよね本当に。
時間も余裕もない状態で、生徒の人間関係に介入するとロクなことがないので、全てを投げ打ってでも緊急に介入すべき時以外はじっと聴きただ見守れ
— やっちゃえ先生@論文の冬 (@Yacchaee) 2019年2月21日
というのは「ズッ友」が成り立たないご時世に必要な教訓かも。
そんな中生徒とこういう話をしている時は幸せである。
「倫理とかで考えたことを『もの』づくりに落とし込む学校があるんだよね〜」と話したら「めっちゃいい〜今からやりたい!超楽しそう!」と生徒たち。
— やっちゃえ先生@論文の冬 (@Yacchaee) 2019年2月25日
芸術の授業で見せる黙々と取り組む表情や、和気藹々とやり取りしながら作り込む表情を見ると本当にそうしたい。大人の都合で教育を切り分けている💦
生徒と未来のまだ見ぬ理想を語り合ってる時が一番楽しいというのはよくある話。祭りは祭りの準備が一番充実しているとか何だとか。
③Twitterでのあれこれ
自分のせいで食傷気味になっているこの言説。
一斉授業は終わってる、という人も、ALとか強制させられたら死ぬ、という人もいる。
— やっちゃえ先生@論文の冬 (@Yacchaee) 2019年2月25日
ただ、良質な一斉授業やALを経験して、自分が「揺らぐ」喜び、新たな概念や観点が自分に宿るワクワクを体感すれば、どちらも手段にすぎないとわかるはずだと信じたい。教員が二項対立に陥ったら生徒が不幸だ😥
Twitterを見る時間が増えている(iPhoneのScreen Timeが有能✨)のだけれど、
一番思うのは、教育関係者同士が、特に協働的なストレスのかかる学びを「押し付け」だという言説に加担していること。
もちろん、デザインのないALは言わずもがな良くない授業だけれど、「おれはそんなのは嫌いだ」とか言い始めたら、学校という装置で働いているのにそれはないんじゃないの、と思ってしまう。
授業アンケートは難しい。そもそも既存の教室という権力空間で無記名とはいえ書かせている構造がある。
— やっちゃえ先生@論文の冬 (@Yacchaee) 2019年2月28日
その権力構造を和らげようと年中意識し、アンケートは質問の言葉1つにこだわり、何をどう聞くべきか悩む。
日頃から「生徒→教員」へ形成的フィードバックをもらえる関係性こそ大事、とも思う。
負荷の低い教育だけやっていればそりゃアンケートの満足度は高まる。
私も一番生徒からのアンケートで高得点なのは「講義」である。生徒に負荷が少ないからだ。いるだけでいいからだ。
私の授業の主構成
— やっちゃえ先生@論文の冬 (@Yacchaee) 2019年3月1日
•講義
•紙面討論
•対面討論
•生徒プロジェクト
生徒にアンケートを取ると必ず講義が1番よい点になるんだけど、
それは講義が良いというより、他の学び方と比べて「相対的に負荷が少ない」ので良い点がつきやすい。
全体デザインの足りないALは生徒の負荷をいたずらに高める…💦
シビアに詰められたり、思うようにいかない、というストレスが少ないからだ。
ただ、年間ずっとそれでいいのか?という問いにどれくらい真剣に向き合うかは教員の裁量でもある。ここから逃げたくないという思いがある。逃げれば、見られるはずの生徒の素晴らしい面が見られなくなるからだ。おこがましいけれど。
おわりに ーぼやきー
持続可能なモデルにしていかないと、どこかでひずみが出てきてしまう。それが致命的なものになる前に、自分を脱皮させていかないといけない。
来年度、定期試験をなくすことを科の同僚と真剣に考えているのだけど、少し先が見えてきた✨
— やっちゃえ先生@論文の冬 (@Yacchaee) 2019年2月24日
が、推薦枠とか成績を利用して大学進学をする生徒が増えている現状を考えると
☑️どのような「成績」がよい「成績」か?
という問いに向き合ってコース設計・授業デザインができるか、その力量が試されてる。
教育は難しい。時間をかければかけるほど、良いものが生まれるという呪縛。そもそもパターナリスティックな介入をしているだけなのに、「よい教育」が一人を動かすことがあるというところから逃れられない。
ビジネスは最後お金に割り切れる部分がなきにしもあらずだけれど、教育は底なし沼。
底なし沼でどこまでも献身的に尽くす先輩を見ていると、「ああなりたい」と「ああはなれない」がせめぎ合う。
新年度は受験生と一緒に生きる年度になる。年度末には一旦色々と整理をして気持ち新たにいきたいところ。捨てることを恐れずに〜。
40人クラスの授業で一人ひとりを大切にするのは限界なんだ!(*^○^*)
— やっちゃえ先生@論文の冬 (@Yacchaee) 2019年3月1日
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