生徒の問いは、まっすぐである。だから面白い。
昨日に引き続き、進路・文理・科目選択に悩む高校生の素朴な質問から考えるシリーズ。
今日は、受験生の自覚が出始めている?高校2年生の生徒の問い。
◯受験に使わない科目の存在
志望校が「私立文系」と呼ばれるくくりに入るらしく、地歴公民科は1つしか受験に使わないとのこと。
しかし、高校では①世界史も必修だし、②地歴の選択科目(世界史B、日本史Bなど)も学ぶし、③公民(政経・現社・倫理)も必修。となると、タイトルのような問いが出てくるのも分かる気がします。今年だけではなく、時々この問いは聞かれます。(受験に必要ないから私には必要ないと思うなら割り切って内職すれば?とは言えないし言ってはいけない)
◯なんで政経とか現社なんてやるの?
「教員に問いをぶつけにくる」生徒ですから、基本的には、大人を信用している生徒です。こちらもしっかりとその問いに向き合ってみたい。(大人を信用していなくてもその存在に向き合うのが教員の使命だが)
ということで、昨日の記事に続き、指導要領や教科書の冒頭を見比べてみました。
その中で出会った素晴らしい文章を紹介させて下さい。
観点は、
①高校生の目線で、読みやすく、面白い文章かどうか
②教員の目線で、文章から敷衍してワクワクする話ができそうかどうか
の2点で、紹介したいと思ったものです。独断と偏見です。
あ、始めに意外だったのは、世界史や日本史と比べて、「なぜこの科目を学ぶのか」ということが冒頭に書いていない教科書もいくつかあった!ということです。(特に、政治経済。中学の公民を読み直す必要があるかもしれません。ただ、実際教科書の冒頭をじっくり授業で読むってことは難しいので、書いていないことは現場の実務的にはあまり問題ないとも思うけど…)
◯「わたしたちは、日常のなかで「問題」に出会う。」
教科書の冒頭がこの書き出しから始まるってちょっとワクワクするのは私だけでしょうか。続きの文章も、読みやすくて論旨明快です。(一瞬、「長い」と思ったけど)
なかにはとうてい解決できそうにないものもあるが、とにかく問題を意識したとき、わたしたちは考え始める。
いいですね〜公民っぽい。自分の抱える問題は、頭から離れないですもんね。
あなたの出会う問題には、あなただけの問題も多く、それは他の誰かが代わって解決することができない。しかし、あなたは、他の人々と密接な関係をたもちながら生きている社会的な存在でもある。
確かに。自分の抱える問題は、他の人が解決できないことが多い。他の人々と密接な関係を保っているっちゃ、保っている。確かに。
日本という国で、高校生として、現代社会から生じる問題に直面している今、その問題はあなただけでなく他の人々によっても共通の社会的な問題となる。そして、この問題は、他の人々との協力によって社会的に解決でき、また社会的にしか解決できないことにも気づくだろう。(いずれも太字は筆者)
「高校生として、現代社会から生じる問題に直面している」という感覚をもたせるのが教員の仕事ですね。ただ、太字は気づいてほしいですね、確かに。
これは教育出版の『新 現代社会』の教科書の冒頭でした。
なかなか面白く、かつ現代社会を学ぶ意義の話が広げられそうな印象をもちました。
◯「わずか100種類程度の元素はさまざまにかかわり合い、組み合わさることによって、数百万種類もの物質をつくるという。」
これもとある教科書の冒頭、書き出しの文章です。サン=テグジュペリの文章のテイストに似ていると思ったのは私だけでしょうか。
で、この後に続く文章も、力強く書かれている気がします。
人は生まれてから死にいたるまでの間、どれだけの関係をつくるのだろうか。親との関係に始まり、(中略)数えきれないほどの他者とかかわる。(中略)しかし、人が多く集まっているだけで関係が生まれるわけではない。隣人であっても関係がなければ他人である。一つ一つの関係の積み重ねが社会であり、それを構造化したものが国家である。(太字は筆者)
なんというか、社会とか国家っていう定義しにくい、説明しにくいものを、すぽんと冒頭で言い切っているのは力強い。
このあと、そういう他者との関係は、自分にとっていつも心地よいわけではなく、対立がある。正義と正義がぶつかる。という話になります。決め台詞がこちら。
一つの正義をめざしていくことよりも、正義とは何かを問うことに意味がある。(筆者により太字)
冒頭の書き出しから、この決め台詞まで、ぐいぐい来る感じは、生徒と一緒に読んでも面白いと思いました。数研出版の現代社会の教科書でした。数学や理科で強さを発揮する数研さんぽい冒頭でした。
◯おわりに
倫理は政経・現社と少し毛色が異なっているので、また記事にしたいと思います。
指導要領の内容は、今回は割愛しました。(あまりにも一文が長く、頭に入ってこない)
教科書を噛み砕いて、生徒をひきつけて、勝手に走り出すように仕向けられるか、が現場の使命。教科書を教えるのではなく、教科書で教える。日々精進です。