日々の記録をTwitterだけではなく記事に残しておくことって大事だよなと思い(3日ぶり452回目)短めの記事を残しておきます。
ちょうど1週間前。プロフェッショナルで観た「いもにい」こと井本先生。
全国から視察が殺到する注目のカリスマ教師・井本陽久(50)に密着!超進学校から児童養護施設まで教室を飛び回り、子どもたちを輝かせる井本の授業は、「生徒に魔法をかける」「まるで奇跡のよう」と称賛される。科目は数学だが、教科書を全く使わず、ノートも一切取らせないという型破りな授業。なぜそれで、「考える力」が伸びていくのか?教育のみならず、子育てや人材育成などにも生きる「育ての極意とヒント」が満載!
「型破りな授業」をする先生と紹介されていましたが、
愛する先生
何より「生徒のあり方」を愛する先生だと思えました。
- 朝学校に出勤した瞬間から生徒に会えるのが楽しみでたまらない
- 生徒の外遊びなどに積極的に絡んでいく
今日のプロフェッショナル!「勉強ができるかどうかに興味はない。幸せには関係ない」と言い切ってます。生徒と触れ合っていて職員朝礼に遅れる、こういう型破りな人がいる反面、裏で学校としての保守点検系の仕事をやっている人の姿を想像してしまうくらいには年をとった。笑https://t.co/9Wmf6hvssZ
— やっちゃえ@2つのPBL (@Yacchaee) 2020年1月7日
私はどうしても組織の中で保守点検系の仕事、組織を回すためにやってくれていることをやっている人の顔が出てきてしまいますが、イモニイを見ると、本当に必要な仕事ってなんでしょうね。
本当に必要な仕事とは
イモニイは授業とは関係なく生徒にちょっかいを出し続けていました(笑)
そういう関わり方ができる先生がどれくらいいるか、と考えると、なかなかいない。
もちろん、男子校中高一貫校特有のスキンシップとコミュニケーションの取り方だなあとは思うし、彼自身衣食住に興味がないと言い切るのもすごい。完全に時間を生徒のために使っている。
生徒ができていることを見つけて褒める。君に興味を持っているよ、という「好き」をぺたぺた貼ること。
好きをぺたぺた貼る
イモニイの言葉で印象に残ったのはこの「好きをぺたぺた貼る」。
ベタベタじゃなくてぺたぺた。ひらがな変換が語感に合います。
面白いのは「好きをぺたぺた貼るともっと好きになる」というコメント。
人間だし教員と生徒にも相性があるよね、と言う前に、自分はぺたぺた貼ってたか?と問いたいなと思います。付かず離れず、の距離感で。
そもそも中学高校の段階で「生徒とそのような関わりを持とう」という教員はそんなに多くないかもしれませんね。
時代の変化に〜云々、入試が変わる云々、色々と教育界において生徒を焦せらせる言説、教員が飛びつきやすい言説は多々あるけれど、
生徒のあり方を大切にする、ということが教育の原点だと思わされます。
冷めた目が…
とはいえ、教員がいきなり入ってきたら冷ややかになりそう、とか、生徒だけの空間、生徒の時間にしてあげなくていいのかな、とか無根拠に思ってしまうのが自分のつまらないところですね。笑
イモニイのように、「そのままでダメなはずがない」「社会は彼らがつくるもの」と言い切りたいけど、自分が結構「今のままじゃダメだ!」と奮い立って生きてきたので悩ましい。
思春期って特に自己への否定と擁護と改革を繰り返しながら進むからなおさらね…
そして教科に引きつけていうと、
社会認識を育む社会科からすれば「社会は自分で作るもの」と思える状況かどうかを問わないことの方が目の前の生徒を置き去りにしている気がしちゃうのです。
ダメな子はいない、が
私もダメな子はいないと思うけど、そのままで絶対にいいとは言い切れない。
それは「生徒を信じていない」と言われれば、そうだと思うのです。ダメな教員だと思うことは日々ある。
でも、生徒が(大小やその要因は問わず)変わる可能性は信じている、という自己評価もしています。
彼らの人生に入れてもらっているという感覚を忘れずに、彼らの力を引き出す働きかけをさせてもらうこと。
原体験に振り回され、未熟な自分を痛感させられる番組です…。
考える力をつけるために
そんなイモニイの授業中の風景で印象的だったのは「問い」を提示して考えさせるというシーンが多かったこと。
イモニイが授業で見ていることは「今考えているかどうか」だけ、そうすれば授業も自然と変わる、だそう。
熱中してやりきった、出し切ったという瞬間をつくりたいだけだとも。
ただ、「栄光学園」の「数学」の授業の1コマだけ出されると素直に共感できない教育者もいるとは思いますが、(個人的には)でもだからこそ、自由と多様性を原理とする私立学校は攻めないと、と思います。
で、問い1つで考えさせる、というとどうしてもクイズっぽくなってくる。
すると認識を育てる社会科(特に公民科はね)だから「数学の謎解きにみたいに一つの問いで惹きつけられないよね…」といって問い一発で勝負することを諦めちゃいけない。
加藤公明先生の「加曽利の犬」が有名でしょうか。
問いを磨く?磨かせる?
知的に挑戦させる問いを磨くこと。
そのためには教員の発問力は大事で、日本の教師教育が受け継いできたものをおろそかにしてはいけないとも思います。社会科でいうなら加藤公明先生の授業は唸りますね。
と言いつつも、「教員が」問いを磨く、という感覚だけではやはり至らない。
生徒自身が問いを磨けるような指導こそ求められていると思ってしまうのです。
なぜなら社会では自分を鍛えるのは自分であり、自分で問いを抱きしめ続ける力が必要だから。
先日のイチロー選手の言葉であった通りです。
イモニイの話に戻りましょう。
課題設定がプロ!
あっさりと問いを出して考えさせていたけれど、よくよく観ているとその課題設定の巧みさに「やっぱりプロの教員だな」と思わされます。
①全員が個人で考えられる
②瞬間的に考え始められる
③でもあっさりは解けない
④とはいえ学齢が上だから有利だというわけではない
⑤自分の力だけでは足りないと気づき他者の力を求める(ZPD的)
⑥もっといいものを作り、完全なものを見つけたいと思わせる
特に最後が難しいんですよね、社会科は(言い訳)
そういえば実際に勤務校で校外説明会に行った時、本校には興味が薄くたまたま通りかかって話を聞いていた生徒がいたのだけど、その子と少し話をして「問い」1つで引きつけていた同僚を思い出しました。(しかもその生徒が結果的に本校に入学したのもすごい)
おわりに
結局長くなってしまいました。
生徒と一緒に時を過ごす、という大げさなことを言わなくても、
生徒が何を考えているか、どういうフィードバックをすればよいか、そういうことを追い続けよう。明日も好きをぺたぺた貼ろう。付かず離れずね。