やっちゃえ先生探究記

生徒の力が引き出される「学習者中心の学び」をデザインしたい教員です。地道な形成的評価を大切に。

学びの「設計」思考がない教員は絶滅する〜具体例で学ぶ設計視点〜

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場の価値の最大化を図るために、

「学びの設計」ができない教員は、映像授業やAIなど、

「人間はないもの」にとって代わられてしまうでしょう…!

 

ケーススタディで考える

例えば、あなたの担当するクラスに関連する以下の3種類のプリントがあるとします。

①番号順に集めた(集まった)プリント

②座席順に集めた(集まった)プリント

③グループ別で集まったプリント

の3種類です。

(もちろんこんなことにならないような「集め方」をしておくべきなのですが)

こういうものをどうするか?

というところに、学びの設計視点が現れてくると考えます。

 

◯よくある光景

「え?プリント返却?授業の初めや終わりに、番号順に呼んだり取りにこさせればいい。5分もあれば3枚ずつ返せるでしょ」

でも、これでは私は足らないと思います。

教員は、1コマの授業で勝負する存在です。

そこで真価を発揮できなければいけません。

だから、授業の時間を

①何のために

②どのように使うのか

という問いを常に自分に投げかけてみる必要があります。

私の尊敬する先生方は、この問いを本当によく意識していらっしゃいます。

 

◯では先の設定に戻って、どうするか?

私なら、次の2つを考えます。

①すべて番号順or座席順に並べ直して、3種類とも一気に返せるようにする

②生徒が相互に見ても差し支えないものであれば、昼休みなどを使って生徒に返させる

 

ただ、授業内でやらなければいけない場合は、確実に①でしょう。

3種類の並べ方を揃えます。

そんなことに時間を割くのか?と思われるかもしれませんが、

すべては授業の1コマを使い尽くすためです。

 

◯もう一つの副次的な効果

「生徒が教員を信頼してくれる」ということです。

プリントの返却の仕方まで考えて授業を構成していることを、生徒は必ず見ていますし、知っています。大体そういうことに気づいてくれる生徒は、教室をリードしてくれるクラスの2割くらいのメンバーです。その2割とがっちり信頼関係を築ければ、他の8割もついてくるのです。

中学・高校の教科担当制授業だと、どうしても1人ひとりの生徒と信頼関係を密にできるほど対話の機会があるわけではありません。

だからこそ、こういう形で「なんとなく」やっていない姿勢を示すことは重要です。

 

◯学びの「設計」の重要性

ちょっと極端な例だったかもしれませんが、授業時間の使い方を設計できるのは教員だけです。授業で何を大切にするか、を明確にした教員であれば、その時間すら教育活動に変えたり、先に述べた形で効率化を図ります。

 

その分、他の大切なことを行う時間を捻出するためです。

優先順位をつける、といったら月並みでしょうか。

 

でもこれこそが学びの設計だと思います。

アクティブ・ラーニングも、この視点なく成り立ちません。

ただ「生徒が何かしていること」で良しとしてはいけません。

それはアクティブ・ラーニングではありません。

 

何を教材として

何のために

どんなことを生徒にさせるから

何分かかる

という逆算的な時間設計が必要です。

 

となれば、例えばですが、授業において

問題演習に取り組み、教員が指名して答えを一人ずつ言っていく、

という授業は絶対にしたくありません。

「設計」視点が不足している授業では、力がつきません。

逆に言うと、講義中心であっても「設計」された授業であれば、力がつくはずです。

そこを履き違えてはいけませんね。