ようやく4月の怒涛の日々が終わりに近づきつつあります…
この1ヶ月、担任業務が始まって思っていることをまとめます。
アイキャッチ画像の編集とか、もくじとかの体裁を整えることで記事を書くハードルを勝手にあげているここ数日だったので、今日はつらつらと記録だけ。
でも、もくじ
〇〇の顔と名前を覚えてしまう効果
これは何度か記事を書いていますが、生徒の顔と名前を覚える。効果は絶大です。
もう一つ言うなら、保護者を覚えるのも効果てきめんです。
唯一の機会とも言える「保護者会」で誰の保護者か、覚える努力をしています。
生徒は顔写真があるからなんとでも覚えられるけど、
さすがに保護者の写真は学校にはありません。
でも、次お目にかかった時に、「〇〇さん、お家で最近どうですか?」とこちらから声をかけるとグッと信頼関係を築きやすくなります。
具体的に何をしているの?
生徒は写真やカードで覚えられるとしても、保護者のものはありません。
なので、私がしていることは、必ず話しかける、と言うことくらいです。
もちろん、1日で全員と話ができるわけではありません。
特に地味で大人しく見える生徒の保護者に声をかけて、ご家庭での様子を伺うことは必ずするようにしています。
(その時に保護者を覚えると、「結局目立つ子だけが学校でいい思いをする」と言うような思われ方をしにくくなります。)
教員は「学校」でいい思いをしてきた人間がほとんどです。
その構造を常に自覚していないと、「学校」に子供を適応させようとするお門違いな学校主義が生まれてしまう。
そんな意味でも、おとなしい(と見受ける)生徒ほど、保護者との接点を大切にしたい。
逆に覚えない先生もいる!!
同じ学年団にいる大ベテランの先生は、上記のような「おせっかい」を極力廃したご指導をなさっており、目の前で見ていて「ほえ〜〜」と驚きつつも、勉強させてもらっています。
例えば、クラスの生徒の顔と名前についても
「俺は覚えられない!!」と初めに宣言すればいいし、卒業までに覚えりゃあいいんだよ。教員らしいことをしなきゃいけないってことはないんだ!
と宣言されていて、でも締めるところは締めていて、かっこいいなあと思います。
人は見た目が○割と言うように、あの先生の風貌、キャラだから成り立つのかなあと思いつつ、HRでの連絡事項についても、その先生がどう伝えているか、折に触れて聞くと勉強になります。
確かに自分が高校の時の担任もこの先生に近かったような気がしますね…放任されている、けど見るところは見ている、と言う父親らしい教員でした。
自分は自分なので変えられないけれど、自分の手の内を晒して、やり方を見せてくださる先生が近くにいることは、前任校でも今の現場でも恵まれています。
私のクラスはうるさい。
4月よく思ったことの1つは、
私のクラスは本当にうるさい。笑
それはそれは元気です。
帰りのHRも私は割と早く教室に向かうのですが、集まるのが遅く始められない。
LHRもガヤガヤしていてうるさいのです。
と同時に、LHRではスマホをいじっている生徒もいれば、睡魔に抗えない生徒もいる。
そのくせ、朝のHRは沈黙、というかほぼエンジン冷温停止状態。
先日のLHRでも、校外学習や学校祭について、学級委員が色々と頑張っているのに伝わっていないので、思わず助け舟を出してしまったけれど、あれは早かったかなあ。もう少し我慢するべきだったかな。我慢ができない生き物です。
中学と高校の違い
中学の担任をしていた時は、こうした状況に「生活指導」と言う名目で結構きちんと指導をしていました。
黙るまで話さない、とか。うるさい時はうるさいと言って静かにさせるとか。
それは、「傾聴」を教えるため。
表現力の重要性が教育でもうたわれると、どうしても話すことばかりに焦点が当たりますが、それ以上に難しいのは「聴く」ことです。
傾聴ができれば、あとは割と放っておいて、と言うか生徒に任せていいよなあ、と高校の担任になってより思えるようになってきました。
ただ任せると言うのは「言うは易し行うは難し」。
「任せる」といって手綱をこっちが握り任せていなかった中学
「任せる」とも言わずに手綱を握らせて信じる高校
と言っては、言い過ぎかもしれませんが…
元気なことはいいことだ
クラスがお通夜状態になるよりも、賑やかなのはいい。
と言うか、静かだから聴いている、と言うのは教員がそう思いたいだけですよね。
HRが居場所になり、ストレスが少なくやれているならそれはそれでよし。
と今日記したことが、1年後どうなっているか、楽しみであります。