GW明けの二者面談を継続しています。
高校生の面談をしていると、当然進路やキャリアの話につながってきます。
海外で働きたい、という生徒
その時に生きるのは自分が民間企業で感じていたこと。
転勤も経験したし、海外出張もあったけれど、感じていたのはいつもこれ。
面談で「海外で働きたいんです!」と言う生徒もいる。その気持ちは大いに尊重。ただ留学・民間企業経験した経験から言うと、それに加えて「何をするか」の軸があると「海外で働く」+もう1つ軸ができるので、実現した時の幸せ度がさらに上がるからそれ探そうよ、と言う話をする。割と納得される。
— やっちゃえ先生@探究学習 (@Yacchaee) 2018年5月8日
結局、場所は手段でしかない、ということをどれだけ分かっているか。
場所も組織の規模も全て手段。それを求めて生まれてきた人間などいない。
ブログを始めた頃に書いた記事ですが、ここで書いたことは今も変わっていません。
あこがれ、をどうするか?
先の記事から少し自分の言葉で恐縮ですが引いておくと、
今思えば、自分の中の「あこがれ」から逃げきれていなかったように思います。
特に、私は経済的に決して裕福な環境ではなかったので、就職することで、親を安心させたいという思いや、奨学金の返済を不安視しなくてよい、という思いがありました。
よって、何にあこがれたか、というと、「立派な就職」なのです。
先に書いた、
・業界で名を知らない人はいない大企業の総合職
・海外勤務も、全国転勤もある職場
で、世間的に言えば、「立派」な就職を決めた、ことになりました。
親も喜び、奨学金の返済への不安も薄らぎ、私は安心していました。
やりたいこと、将来のビジョンはあったものの、それよりも大きく自分の意思決定に影響を及ぼしていたのが、「条件」であり、その条件への「あこがれ」を捨てられませんでした。
先日書いたmanaveeの記事でも紹介しましたが、苦労して、大学に進学したと思う気持が強いほど、世間のいう「立派な就職」から逃れられなかったと今は思います。
生徒にも同じような境遇の生徒がいます。
苦労している生徒ほど、進学・就職において世間体を気にする傾向がどうしてもある。立派な進学、立派な就職、立派なキャリアというものを無意識に求めてしまうのかもしれません。
適切なタイミング。。
その一つのあり方が「海外」なのだとしたら、見守りつつも生徒の本音を引き出せるように適切なタイミングで働きかける、これが教員の役割でしょうかね。
適切なタイミングで、というのが難しい。
すぐ言いたくなるのだけど、いつ言うか。
こういう長期スパンで生徒の成長に関われるのが学校の長所であり、教員の醍醐味かもしれません。
※ただ、こういう記事を読むと、海外で働くことが目的であり、そのことに幸せを感じるという気持ちもあるんだなあと感じますね。www.lifehacker.jp
改めて思うけど、保護者と生徒の目線が違っているとき、こちらが思っている以上に生徒はそのことでモヤモヤしていますね…どう働きかけるかなあ。
持って行く方向は定まっていても、そのルートは家庭・生徒・保護者の状況によって変わってきます。人を相手にする仕事ならではですね、この辺も。
おわりに
社会人経験を切り札にしない。でも手札としては常に持っている。
この使い分けができず、「前職では〜」「企業にいた時は〜」なんて連発しちゃうのは猛烈にダサいので、意識しておきたいところです。
GWが終わったばかりなのにもう結構身体にきてますね、春は色々とバタつきます。冬の淡々と、でも精力的に授業に時間を費やせるのが恋しい…7h寝ないとなあ。