AO入試の結果が続々と発表され、悲喜こもごものこの頃です。
一斉授業における参加型の「学び」と、個別化された探求型の「学び」を
同時に進めること は教員にとっても、労力がかかります。
そこに、のっかってくるAO・推薦入試。個別化された入試に挑む生徒が増えれば増えるほど
間違いなく教員の仕事は増えていく。
そしてこの傾向は今後も加速していくでしょう。
2015(平成27)年度から21(同33)年度までの間に推薦入試やAO入試などによる入学者を、「入学定員の30%を目標」に拡大すると明記しました。
急に自分を証明しなければならない
それまで、普通の高校生として毎日を過ごしてきた中で、AO入試が視野に入ると当然自分を証明することが求められる。
そうすると、こちらが思っている以上に生徒は思い悩むのです。
書類の書き方、志望理由…本当にこれでいいのか?ということがわからない。
就職活動でも同じような経験をしますが、なんとなく場数を踏めて、説明会があって、少しずつ慣れていく、というのが実際でしょう。
しかし、高校生の場合は結構その機会が少ない。
ただでさえ高校生は忙しい
そもそも、彼らに可処分時間がどれだけあるだろうか。
自分を豊かにする時間がどれだけあるだろうか。
ほとんどの学校が土曜日も授業を行い、生徒は週6で学校に通う。
受験のために低学年から塾に通う。部活動にも参加する。
それなのに、こういうニュースが飛び込んでくる。
とっ散らかってしまったが
話がバラバラだが、言いたいことは1つ。
生徒の悩み・モヤモヤにきちんと付き合うのって本当に大変だ。
もちろん、それが仕事であり、「生きる」に伴走する教員の生き方だ。
そのことに喜びを感じていることは間違いない。
しかし、同時並行で授業も、部活動も行われる。
そうなると、やはり「ひとり」に寄り添うはずが、寄り添えなくなっている。
実際に自分も、どれだけ生徒ひとりのために時間を割けているか、というと耳が痛い。なんとなく対応してしまうこともある(反省)
「先生は「ひとり」にきちんと向き合ってくれるよね」
と言ってくれた去年のMさん、今の私はどうだろうか…と思ってしまう。
家庭の経済力格差は大きい
AO入試の増加は生徒ひとりを見る、固定的な学力観にとらわれない点でいいと思うが、その生徒ひとりをみる学校はどれくらいあるだろう。
AOで勝負する生徒の”原体験”をどれくらいつくれているだろう。
結局、家庭の経済力で留学・塾・習い事など、「経験」を買っている。
中間層の教育投資が重要であることは国家戦略的に疑いない事実だが、「ひとり」をみていると、家庭の経済力の重要性を痛感する。
※最近出た行動経済学・阪大の大竹先生の本は相変わらず読みやすかった
競争社会の歩き方 - 自分の「強み」を見つけるには (中公新書)
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でも、それってどうなんだろう。地方の、中間層以下の生徒が、都会の富裕層の生徒とAO入試で勝負するイメージがわかない。AO入試の受験者が比較的高所得家庭出身である、という仮説は間違ってるんだろうか。
もちろん、地方だから無理、というつもりは毛頭ない。どこだってやる人はやる。でもそれをふりかざしていいのだろうか。
今日は書きたいまま書く日でした
ごちゃごちゃとすみませんでした。
面接の練習で、「偽りの自分で勝負しても後悔するよ」なんていうけれど、
自分をこしらえようとしてしまう、その心理の奥にあるものをきちんと見ていたい。
そんな1日でした。