実家に帰省。お昼を食べながらTVドラマ再放送で「おっさんずラブ」を観ました。
その後、私が皿洗いを始めたシーン。
祖母がおもむろに
「男の人が皿洗いするなんてかわいそうねえ」とつぶやいたのです。
皆さんなら、次にどんな言葉を返すでしょうか?
「社会」は変われど
何にせよ、日本社会が少しずつではあるものの多様性を認める社会になってきた、という実感がある方は多いでしょう。
それに対し、祖母の発言はどう考えても「時代遅れ」です。祖母は筋金入り?の専業主婦。
祖父は典型的な勤め人。「女は家」という価値観を持っていました。
皿洗いは誰の仕事か?といったら、もはや自明です。
今読んでいるこちらの本の冒頭、というわけではないですが、人はやはり自分が経験してきた慣習から逃れられないのかもしれません。
私が教師となったはじめの頃は、自分が生徒や学生だったときの経験に基づいて教師としての仕事をしていました。その経験の影響力は、教師教育のプログラムで学んだこと以上であり、そして間違いなく、授業や学習を構成する本質的なものは何かということについて理解したこと以上でした。つまり、私は、ほとんど、私が教えてくれた教師たちがしていたのと同じことをしていたのです。
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そんな祖母が、一緒に「おっさんずラブ」を観ていたわけです。
おっさんずラブに対しては
細かい設定は割愛しますが、あのドラマは要するに
"男の人”が"男の人”を好きになり、“おっさん”が“若者”や“おっさん”を愛したりする話です。よくあるドラマよろしく、関係がもつれます。
「同性愛」がまだあまり認められていたとは言い難い時代に生きていた祖母にとって間違いなく異質に見えるであろう「おっさんずラブ」でした。
が、その反応は
男である私が皿洗いをすることを「かわいそう」と形容する祖母が、一緒に「おっさんずラブ」を観ていてどういう反応をするかとドキドキしていたら、特に何もないのです。
ラストシーンまで無言で夢中で(楽しく)観ているわけです。
特に「くだらん」という反応をすることもなく、「え〜っへっへ」と笑いながらその愛の形を隣で観ている。
この瞬間においては、間違いなく祖母は「時代」に"遅れず"生きていると思わされました。なんならラストシーンに少し満足げでもある。
【要約】主人公は、偽りの愛ではなく本当に愛している人の存在に気づき、結婚式の誓いのキスの直前でおっさんとの結婚を翻意し、別の男のもとへ走り出す。おっさんの度量にも泣けるシーン。
皿洗いと「おっさんずラブ」の違いは
何なのでしょう???
同性愛の存在は、TVっ子である祖母にとって、色々な芸能人の存在からむしろ見慣れたものだったのでしょうか。
それくらいしか仮説が立てられません。あるいは、経験したことがあるものとないものの違いでしょうか。自分ごとかどうか??
変わらないでいてほしい欲
ここ田舎と、私が日々暮らす都会では別の時間が流れているんでしょうか。
ただ一方で田舎では「田舎の時間」が流れていてほしいと願っちゃってる自分がいるのも事実。
価値観も同じで、田舎は田舎のままであってほしいと願ってしまう都合のいい自分がいることも事実です。
変わらない景色・変わらない実家の食器・変わらない年始の時間。
価値観だけが変わっていることに違和感をもつ自分の幻想かもしれません。
おわりに
①祖母の言葉に何を返すでもなく
「ははは、(皿洗い)よくやってるよ」と返すのが精一杯でした。男でも今の時代はやるんだよ〜というのは咄嗟に出なかったなあ。それもなんでだろう。
②「社会認識」を扱う社会科・地歴公民科の教員として、いかに「社会認識」が経験から逃れられないものか、を痛感しつつも、同時に容易に?変わりうる認識に「社会認識」って面白いなあと再認識する年始でした。
社会認識についてはやはりこの2人をオススメします。
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あと、上田薫も読みたいけれど画像すら出てこない古典になってしまっていた…