年度末のチームプロジェクト(PJ)を生徒たちが進めています。
個人PJではないので、協働的な学びを実現できるかがカギになります。そこで、教員が何に時間と体力を裂かれるか、という話。
どちらかというと私個人の授業反省に近い記事。
意欲の格差
チームでの学習は、授業内ならまだしも、授業外の活動を加えると「誰がどれくらい頑張ったのか」を直接教員が見届けることは難しい。
※もちろん生徒の数が5人、とかなら話は別だが40人を相手にしていると難しい。そういう構造的な解決が最後は必要になる話だとは思うのだけど。
チームの人数が増えれば増えるほど、「意欲」と、それに伴う「貢献度」の差が顕在化しやすい。
その中で、動機は何であれチームやクラスのために時間を割いて、学びに貢献してくれる生徒がいます。
そんな生徒たちが愚痴をこぼすわけです。
協働的な学びのストレスは大きい。
— やっちゃえ先生@論文の冬 (@Yacchaee) 2019年2月6日
今日はグループワークの愚痴より、コース自体に愚痴を続けられて堪えた💦
「本当はこの人は何に困っているんだろう?」と対話+コース改善をするしかない。
ただ生徒の抱える課題量の調整は必須!まず各教科の学びを見える化するカリマネ第一歩を組織でやらないと。
- 貢献してくれない人がいる
- そもそも忙しすぎる
- なんでこんなPJをしなければいけないのか
- チームで「ひとつ」の成績は納得いかない
- 他の教科の課題を先生はわかっているのか
などなど、1時間ほど有難いフィードバックを生徒たちからもらいました。心は磨耗した。
ちゃんと評価されるか?
結局、「序列化のための評価」に止まっていると、やっぱり頑張っている生徒は「不公平だ」と思うわけです。
生徒「プロセスの頑張りを先生は見ていないから評価しようがない。最終的なアウトプットに対しチームで評価されるなら、みんな同じ評価になる、納得がいかない」
そういう話。
どう対応するか?悩んでいますが、例えばこれ。
この本でも紹介されていたけれど、プロセスを“正しく”評価したい。
ちゃんと評価する、というより、ちゃんと評価してもらってる感をどれだけ抱けるか、がポイントかもしれない。
企業時代の360度サーベイ、そういう意味では理にかなってたと思い出した。
物語を語らせる
で、そのプロセスを評価する上で、
学びの語り方を変える必要性がある。
語らせる必要がある。
というのが最近出た吉田新一郎訳本シリーズのこちらの本。p57~あたりがヒント。
☑️「どのようにやったのですか?」という質問
— やっちゃえ先生@論文の冬 (@Yacchaee) 2019年2月4日
自分が努力したことを話す。その過程で、望ましい結果をもたらすために、自分が行動し、選択したという物語を詳しく述べることになる。この主体的な物語は、戦略的行動によって自分は物事を成し遂げられる人間だというアイデンティティを養う効果もある。
少なくとも、この質問を通して語らせることをさせてみよう。
「プロセスを見たいんだ、私は皆の努力のプロセスを見れていないので教えて欲しい」と表明することに意味はあるのではないか(自己正当化)
動機付けの3C
動機づけの「3C」というのがある。孤立的でも過度に競争的でもなく、気兼ねなく協働(collaboration)ができること。この仕事には「意味がある」と思えるような内容(content)。そして選択(choice)の幅。子どもの学びで大人の仕事でも、この3つが十分整っている時、私たちの動機の力は発動する。
— 苫野一徳 (@ittokutomano) February 5, 2019
これでいうと、今回の課題は1つ目「協働」が一番大きい。
結局、仲のいい生徒で集まってやっているわけではない。能力?別にチームを調整しているわけではない。
いろいろな凸凹がある中で、協働を求めているのだから、当然うまくいかないことばかり。うまくいくのは生徒のおかげだと本心で思う。
そこでいかに支援できるか、こそ場を持つ教員の出どころなのだけど、今回は残念だけど学びのプロセスを丁寧に見られていないから支援に自信が持てない。
とにかく、色々な構造があって全ての生徒に寄り添えないなら、語らせるしかないのだろう。それを避けて、「評価」など生徒の努力に失礼。
おわりに
生徒が愚痴ってくれるうちが華。最後はこういう話に行き着いてしまう。
生徒がとにかく忙しすぎて申し訳ない。もっとのびのび、ワクワク学んでほしいし、生徒もそうしたがっている。学ぶ意欲がある生徒が多いのに、そんな思いをさせているのは悲しい。
— やっちゃえ先生@論文の冬 (@Yacchaee) February 6, 2019
とにかく生徒を追ったてるような構造を学校は持ってしまっている。評価の体系に生徒をからめとっている。学校とは?🏫
書評を書いていないけれど、この本なんかが共通了解になる日はいつとやら。
あわせてどうぞ。梶田先生の話は勉強になります。