今日は昔お世話になった先生と数年ぶりの再会。話に花が咲きました。
私と同じく、中高の社会科・地歴公民科の先生です。
そこで話題になったのが、教科の「専門性」とはなんだろう?ということ。
いろいろな方の意見も聞いてみたいと思いこのタイトルに。
◯まず、「教員」そのものの専門性がある
以前、教員の商売道具が何かについて考えてみましたが、
教員の陥りやすいジレンマに、自分自身が知識を増やし、深めることに喜びを覚え、肝心の「生徒に伝える」ことがおろそかになる、ということを指摘しました。
知識を生徒に伝え、生徒がそれをもとに考えを深めて、伝え合えることができてこそ、教員冥利に尽きるのかなあと思っています。
これは教員全体に共通する専門性なのかなと感じています。
教科の垣根を超えて、教員が持つべき専門性です。
じゃあ、そこで終わっていいかと言うと話は別だと思います。
◯「教科」の専門性 〜歴史科の場合〜
皆さんは中高の先生(特に高校)に対し、教科の専門性をどこまで求めるでしょうか?
私立学校の採用においては、院卒の先生を優遇するケースもみられるくらい、
教科の専門性は、その人の商売道具の1つ、として重く捉えられます。
教科担当に分かれている中高の教員として、自分自身の教科における専門性があればあるほど、研究も出来る優秀な教員として考えられることが多いです。。
例えば、歴史科においては
日本史なら「中世日本史の農村経済」
世界史なら「古代ギリシアの政治哲学」
といったように、教科の中で特にこれ!という関心領域が有ることを専門性と指します。
教員たるもの、そういう教科の専門性を持ってナンボ!という文化が学校にはある、といえるでしょうか。だから院卒が優遇されるケースもあるのです。
◯でも、それって本当に「専門性」?
確かに、教科の専門性は、教員として見逃せない大事なものです。
が、ある特定の領域に興味関心が高い=専門性が高く優秀 かというと私は少し懐疑的です。
多くの生徒や保護者にとっては、
いかにも歴史屋さんぽい、特定のテーマにものすごく深く伝えられる先生よりも、
どんな時代のどんな話も,噛み砕いて分かりやすく面白く伝えてくれる先生の方が、ありがたいのではないでしょうか。
もちろん、だからと言って、特定のテーマをもたなくていいわけではありませんし、そういう先生が支持されないとは思いません。
教員たるもの、日々学び続けねばなりません。(結局,誰からも責められないようなこういう書き方でよいのかわからないけれど)
でも、歴史科でいえば、「歴史総合」が新設される予定です。
教科の「専門性」に固執するのではなく、横断的に、セミプロであること、がある意味で中高の教員に求められるような気がしています。
◯おわりに
ちょっと最近自らの「専門性」について迷子だったので書いてみました。
歴史を教えていても、この分野は特段の関心が有る、ってのがあまりないんです。
それよりも、どの時代のどの地域でも共通する普遍的なルールや、人の心の動きだったり、世界史上の人物の人間くささについて、エピソードを中心に掘り下げて伝えることが面白いと感じています。
これって、「専門性」といえるのでしょうか?いずれにせよ、学ばねばなあ。