やっちゃえ先生探究記

生徒の力が引き出される「学習者中心の学び」をデザインしたい教員です。地道な形成的評価を大切に。

【資料あり】探究学習をデザインするために最も必要なことは?@成城大シンポジウム

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昨日、成城大学FD・SDシンポジウムに参加しました。

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発表者に中高の先生方が多かったので、参加者の6,7割が中等教育関係者でした。

学習指導要領でも明確に示された「探究」について、私自身も授業で伴走しながら、さらに効果的な学習にするための「デザイン」を模索していたので、いい機会でした。

学習を促進する条件

関西大学の森朋子先生の発表で印象的だった資料がこちら。

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「探究学習」と呼ばれる学習においても、多くの場合この1~8の要素が含まれているのではないか、とのこと。

「生徒自身の学習が促進する条件」を自ずと踏まえているのが探究学習である、と言われたときどうでしょうか。

私の実感としては、「うまくいけば」探究はこの1~8の要素を踏まえて行く気がします。が、うまくいかないときが問題。

探究の「型」

うまくいく探究を支援するためには、「型」が必要。

というのは私の実感です。

教員側はある程度その型を踏まえながら、生徒の“自由”な探究を支援する、ことになると思います。

その意味で、こういう基本ステップももしかしたら参考になるかもしれない。

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http://careerkoshien.mycampus.jp/wp-content/uploads/2017/07/f9dee22075743dcd652a0977676ec2e3.pdf

自分も探究を生徒と一緒進めていて一番腹落ちしているのが、この図。

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https://kotaenonai.org/blog/satolog/3279/

探究を支援するために使える書籍やツール(というと矮小化している気がするけど)はたくさんある。

私の場合はそれが質問づくりであり、スパイダー討論であり、ピアレビューであり、探究PLカードであったりする。教員側の手札はあってよい。

探究の「デザイン」という話になった時、必ず型とツールは必要になるでしょう。

とはいえ、最も印象の残った話は、型とツールではなかったのです。

最も印象に残った話

立命館宇治高校の高1主任で「探究」研究主任でもある酒井先生の発表は、自分が抱える課題に対する解を示してくれたようで大変参考になった。 

最も印象に残ったのがこれ。

本当にその通りでした。

「howばかり聞かれるけれど、whyの方が大事」と酒井先生はおっしゃっていました。

目の前の生徒に対してどんな風に育って欲しいか、という願いを、期待を、全員がコミットできる形に落とし込んでいく、そのために「なぜ探究なのか」教員同士で対話する。

先に載せたようにhowはいくらでも頼れるツールや先行事例・型がある。

だからこそ、why=なぜ探究なのか?を教員が腹を割って話すこと。

  • 自分の学校の問題点・課題
  • 育てたい生徒像

について、ざっくばらんにやりとりができるか、にかかっていると痛感します。

マネジメントのできる教員

酒井先生の主任としての働きは、地味だけれど素晴らしい「学年主任」に思える。

毎週の「担任会」をいかに機能させるか。

こういうマネジメントができる教員って多くないのです。

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日本教育新聞 2019.1.21

特に高校はそれぞれの分野のプチ専門家の集まりなので、組織運営に興味のある人が少なかったりします。(学級経営も興味ない人が…)

発表を聞いていて、『学習する学校』や「質問づくり」を読み込んでおられるのではないか、と思ったけれど、それをおくびにも出されなかった。

教員が協働する環境を作りに行く主任がいることが本当に素敵だと思う。

「誰にでもできるんです、教員の不安を教員同士で受け止めあって、チームでやっていきましょうよ」という懐の深い発表でした。

www.yacchaesensei.com

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対話を生み出す

酒井先生のような「チーム」を作るための働きをされている意味では、話題の札幌新陽高校の中原先生も同じような努力をされていた。

(中原先生のなぞなぞの答え*1は記事最後で…)

いきなり「いい授業ってなんだと思います?」だとぶつかり合って相容れないことがどうしてもある。

そうなってしまうと、普通の話ができない。だからこそ徹底して「普通の会話のハードルを下げる」ことを心がけていたとおっしゃっていた。

私自身は、猛反省したこの記事のときを思い出します。

言葉には、一種の“贈り物”みたい効果があって、言葉を交換しあうことが人間同士に信頼や親しみを生む。というより、黙っていると発生しがちな、不信の発生確率を減らしてくれる、と言うべきかもしれない。(原文ママ)

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探究だけじゃダメ 

そして今回のシンポジウムで感じたことはもう一つ。 

探究学習だけできればよいか? ーー NOである。

いわゆる通常の教科教育も変わらなければならない。

探究の果てに自己調整学習がある」と森先生はおっしゃっていたけれど、まさにそのような生涯学習を可能にする態度を身につけて卒業していって欲しい、と私たちは願っているはずだ。

学歴社会ではなく、学習歴社会になる。

その社会で活躍できる有為な人材になって欲しいと願うなら、探究だけを通常の教科と切り離すべきではないでしょう。

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ひとつひとつ、対話して、着実に改善する。

そうやってよいものを教員・生徒が共に作って行くしかない。

地味だけれど、一番重要なことを再確認できたシンポジウムでした。

おわりに

抱えている自校の課題意識が確信に変わり、来年度はそこに貢献していこうと決意する1日になりました。

他教科を知ろうとしない、仕事が増えると文句を言う、その根底に何があるか、思いを馳せてチームを作って行くしかない。

素晴らしい生徒と素晴らしい教員がいるのに、素晴らしいことができないはずがない。

あとはこういう研究者の先生がコラボしてくれないかなあ…自分から取りに行くしかないんだけどね最後は。

*1:小銭=硬貨=こうか=校歌…笑