教育実習生と話していて、中学と高校の免許を取ったけれど違いをどう考えればいいか、という疑問があったので、中高一貫校と高校で働いたことのある身として思うことをまとめておきます。
※特に今日の記事は批判的にご覧ください。あくまで主観です。
①教科と教育の専門性
先に言っておきますが、教員である以上、両方の専門性が重要です。
また、生徒層によっても当然異なるので、一概に言えません。*1
その上で、教員としてどちらで貢献するか、という視点での話です。
一般的にこのように理解されているのではないでしょうか…
中学は義務教育
あくまで「教育」の専門性が先に来るでしょう。
もちろん教科の専門性も求められます、が、やはり網羅する内容量が全然違う。
逆に、中学の場合は、教科の専門性を教育的視点からどう活かしていくか、ということが問われます。
一方、高校では
求められる教科の専門性は高いです。
もちろんどこまでの専門性が必要とされるかは学校によって異なるが、高校の場合は生徒の知的好奇心を掻き立てるに値する専門性が求められます。
今の勤務校も多くの先生が修士卒・博士まで行かれた方もいらっしゃいます。
一概には言えないですが、その分野を大学で学びたいと思わせる専門性、生徒の学びの意欲をさらに掻き立てるような力が求められます。
②教育の専門性が中学で高い理由
繰り返しますが両方とも教員なので、どちらも欠けてはいけない専門性です。
ただ、どのような専門性が中学で求められるか、高校で求められるか、と考えると、やはり生活指導のことを考えざるを得ない。
中学の生活指導
生活指導の縛りは中学の方がどうしても強くなるし、介入すべきシーンは多く見られます。
中学の担任を経験した先生がよく言っているのは「中学の3年間は本当に不思議」ということ。私も同感です。
この3年間に何が詰まっているんだろう?と思わされるくらい、この3年間で大きく成長する。
1年1年、生徒が「これでもか」と違う顔を見せてくれる。まさに成長。
これがやりがいを生み、業務過多を自ら生み出すこともありますね。
中学の方が生活指導は多く、論理的に対処できるものばかりではないので、骨は折れるし時間はかかるし、解決が見えないこともあるけれど、中学生なので大人として介入しやすい、完治につながりやすい、という感覚も持っています。
一方、高校の生活指導
高校は生活指導の回数は中学ほどではないでしょう。
校則と同時に、社会的規範に縛られるようになる年代です。(14才以上が少年法適用。それ未満は刑罰に問われない)
そのことに照らして、教育的効果を考えた指導を行うようになります。中学はその社会的規範・法がどうこう、ということではないので、難しさがありました。高校はその点、社会的規範という考える軸がある印象です。
ただし、高校で露見する問題は根が深くなる傾向にあると感じます。
長期戦になることが多く、キャリアや進路を同時に考えないと時間が過ぎていく(それでいいんだけど)し、かと言って生徒が素直に学校を信頼してくれるとも限らない。
ある意味、大人と子供の狭間で、誰を頼ることなくともやり過ごす術を生徒が知って(しまって)いる。
だからこそ、介入のタイミングは本当に難しいです。
③給料は?
こんなページがありました。引用です。
よく中学<高校と言われるけれど、私は中高一貫校勤務の時、そこに違いはありませんでした。中学も高校も授業・クラスを担当していたので違いはよく体感することができましたが、給与の差はありませんでしたね。
ただ、時給換算すると、中学の方がやや労働時間が長い傾向にあるので、高校の方が年収が高いという結果にはなりそうです。
それよりも私は非正規雇用の教員が増えていることの方がよほど心配です。
非正規雇用の教員が悪いわけではなく、できることが減ってしまうのです。例えば授業外にケアを必要とするようなプロジェクト型の指導は契約上任せられない。
先生がやりたいと思っていても任せられない現実があります。
おわりに
教育実習生の多くが、こういう調査があることを知りません。どうしても自分が生徒としていた学校の様子・実習校をベースに考えてしまうけれど、経験を絶対化しないように生きることは教員として重要なスキルの一つかも。*2
*1:教科と教育の専門性、どっちが大事?というのは苫野先生の「問い方のマジック」ですね。第6回 「問い方のマジック」にひっかからない|はじめての哲学的思考|webちくま
*2:というこの記事は経験に基づいて書かれています。