「最後は、評価が1〜5とか、A~Dの成績に「堕する」んでしょ?」
今日の記事の問いを先に提示しておきます。
総括的評価を下す宿命
今年度の学びの協働化+プロジェクト化がついに終了。
最後の総括的評価を行う段階に来ています。
これまでも色々学びの協働化+プロジェクト化の試みについては発信してきて課題も浮かび上がっています。
上の2記事と合わせて本記事をお読みいただくと、力不足をさらけ出して悲しいのですが、私がどのような問題に直面し悩んでいるか少しご賢察頂けると思います。
年度末に直面するのが、「評価」の問題です。
総括的評価の質をあげる
1人で40人の生徒の評価をつけるのは非常に難しく、悩みのタネです。
まず前提として、評価には、
- 診断的評価
- 形成的評価
- 総括的評価
の3種類があります。
その中で特に私の場合は、総括的評価の質を高めることに力を注いでいます。
理由はこの通りです。
週2回×40人学級を複数、となると、
診断的・形成的評価はやるけれど生かしきれない。
+やってもその時間対効果が薄い
+明確な成果物を求めて授業を構成している(ため、提出された成果物ベースで評価をすることが求められる)
あすこまさんも同じ悩みを抱えているとコメントをくださいました。
「クラス単位の授業を週2で担当する中で対面カンファレンスの限界を感じ、どうしても成果物の総括的評価の質を上げることに注力していたことがあります」って、これ僕も同じ悩みだなあ…。週2回の授業で40人学級複数はきつい…。
— あすこま (@askoma) 2019年1月3日
でもやっぱり、、、と頭によぎるのが今日のメインの問い。
結局「記号」に落とし込む?
「評価が1〜5とか、A~Dの成績に「堕する」んでしょ?」
という問いです。
どれだけ評価の制度を高めようとしても、最後は何かの記号にしなければいけないジレンマがあります。
もちろん、記号で評価すること自体が悪いわけではありません。
協働・プロジェクト、というプロセスに学びの要素が込められている形式を取りながら、形成的な評価も甘いまま、総括的な評価をくだすことに(その質をいくら高めようとしても)自分の中で待ったがかかるのです。
そこで参照したいのがこちらの書籍。
トムリンソンの教え
- 作者: C.A.トムリンソン,T.R.ムーン,山元隆春,山崎敬人,吉田新一郎
- 出版社/メーカー: 北大路書房
- 発売日: 2018/09/07
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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過去に自分が書いた書評記事から抜粋すると、
「結局評価が1〜5とか、A~Dの成績に「堕する」んでしょ?」
という問いに対して、ヒントになるのはこういう箇所。
この3つのPを、各授業の実態に合わせて問いに変え、生徒に自己評価させてみるとどうだろう、と思いました。
※もちろんこれを正確にやるなら、3つのPに関して生徒と一緒にルーブリックなりチェックリストなりを作成するのがベストですが私はそこまでできずじまいでした。
今回は、協働のプロセスの自己評価をさせてみました。
それを書かせるときに役に立ったのは同じく吉田新一郎先生訳の『オープニングマインド』。
学びのプロセスを語らせる
タイトルがちょっと損してる!?と思うくらい、芯のある1冊(当たり前か)でした。
この第3章で紹介された、「学びの語り方」を先のトムリンソンの3つのPに援用しました。
つまり、私がしたことは
協働化・プロジェクト化された学びが、結局「最後は、評価が1〜5とか、A~Dの成績に「堕する」」としてもより良い評価に近づけるために、トムリンソンの3つのP(の中でも今回はプロセスについて)を、「学びの語り方」を参考に、生徒自身に語らせる、というものです。
このツイートでも言いたかったこと。
策としては
— やっちゃえ先生@論文の冬 (@Yacchaee) 2019年3月12日
•自己評価
•他者評価
•教員からの評価
を交えて総合的にみること。
特に自己評価で自由記述の欄で生徒にしっかり己の努力のプロセスを語らせること。
さらに、一人一人へフィードバックを教員ができると良いが…流石にそこまでは手が回らない😖💦
生徒の自己評価の信憑性
あくまで私の実感として、だけれど、生徒はそれなりに妥当な評価を自分に下す。
これは多少改変したけれど自分の授業で取ったもの。
SはA+のこと。謙虚に書く生徒が多いだろうという予測をしていたので、Aを最高値にするとCが増えるだろうな、と思いSを設定。
この生徒の自己評価を、生徒自身の「学びの語り」とあわせて、私は記号の評価に落とし込んでいます。
「学びの語り方」については、もう少し手ほどきしないと、生徒は「できなかったこと」ばかり書いてしまうんだな、という反省を得ました。
※ちなみに:以下アトウェルのように丁寧に目標・評価基準設定ができれば理想
生徒がライティング/リーディング・ワークショップで期待することに応え、各自で立てた目標を達成していれば、Aの成績。着実に学び、一定のレベルを超えていたらB。水準レベルで、可もなく不可もなければC。目標に遠く及ばず、取り組み不足の生徒はD
全員目標を達成したら「A」がもらえる、というアトウェルの授業の評価を羨ましく思うと同時に、はっとさせられます。
http://www.yacchaesensei.com/entry/2018/08/13/160251私たちは、数字や段階で評価をつけることはしません。生徒の動機付けになっているのは、学びそのものです。
ベストなんかではないけど、できることはしたいのです。
おわりに
『成績をハックする』で紹介されているようなことができれば、と思ったりしますが、「いい評価」をしたい、という自分のこだわりはかなり強いのかもしれない。
↓で書いたように定期試験の割合は評価の50%以下にしました。
が、「結局評価が1〜5とか、A~Dの成績に「堕する」んでしょ?」という問いが自分の頭に残り続けているので、今日の記事です。
「評価」については一度きちんと論文に繋げようと思っています。力不足だけど、やり続けるしかない。来年度も模索します。(んだけど受験生と教育実習生と手におえるのか)