やっちゃえ先生探究記

生徒の力が引き出される「学習者中心の学び」をデザインしたい教員です。地道な形成的評価を大切に。

子どものスマホ依存に悩む保護者・教員がすべきことは?ー熱心な親ほど陥りやすいジレンマー

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スマホ依存について。

結論を先に言っておくと、

スマホ依存の子供のいる家庭に本当に必要なのは、スマホ断捨離術ではなく家庭での会話だ(orスマホよりはPCを!)」 ということになるでしょうか。

動画は1.〇〇倍速?

デジタルネイティブ世代にとっては、スマホで動画コンテンツを楽しむことが当たり前になっている状況です。

しかも、自分もそうだけど大体は1.5倍速とかで観ているわけです。

そんな中で、聞かされるだけの1.0倍速50分授業は苦痛に感じる生徒も多いでしょう。彼らにとっては、聴きやすさとハリを持つ授業の「体感速度」が重要なわけです。

学校でもこのような状況なのだから、スマホ依存の子供にどう働きかけるか頭を悩ませているご家庭も多いのではないでしょうか。

学校に助けを求める

家庭だけでスマホ依存に歯止めをかけられればそれが1番ですが、なかなか難しいのが実態です。

結果として、学校でも指導してほしい、という相談は少なくありません。

ただ実際、学校としての回答はこうなりがち。

「学校でも指導しますが(買い与えているのは親なのだから)ご家庭でもしっかりとご指導いただけますか」

あとは「1日○時間」等ルールを決めてやってみましょう。いきなりやめるのは難しいので、少しずつですね。

でも、これって効果も出にくいし、家庭も「ルール決めるくらいはやってるよ…でもそこまで管理したくない(できない)」というケースも多いはず。

指導と管理の会話になりがち

そもそも、子供のスマホ依存を問題視して学校に助けを求めてくれるご家庭なのだから、保護者が放置しているわけではないですよね。

むしろ、「勉強もきっちりしてほしい」という教育熱の高い保護者こそスマホ依存に悩み、学校にも助けを求めてくれるわけです。

そういう家庭が陥りがちなジレンマが、指導することで悪循環を招く、というもの。具体的にいえば、

「スマホやりすぎないように」「1日○時間ね」「またスマホしてるの?」

と、熱心な親ほど、スマホ依存が目につくので、子供との会話が指導と管理にいきがち、なんですよね。

本当の原因は?

でもスマホ依存の本当の原因って何なんでしょう?

一つには定義できませんが、その一つに家庭での会話不足があると思うのです。

というのも、子供がスマホばかりやっていて、家庭でのコミュニケーションが進まないから、子供はますますスマホに依存しやすい環境ができていく、と思えるから。

そうなると、先述のように「指導と管理」のことばで日常が覆われていってしまうわけです。

管理されて、注意されて、学校でもスマホのことを言われて、また嫌になる。

この連鎖に陥る。

教員目線で考えると

翻って、教員としてすべきことは何か?その1つは、

スマホ依存に悩む保護者に対して「ご家庭でどんなお話ししてますか?」「お子さんは今何にハマってるんですか?」

と、「家庭でのコミュニケーションのありよう」を聞いてみること。

家庭でのありようを教えてもらうことなしに、

「スマホ依存は学力低下につながります!ルールを決めよう!」と児童・生徒・保護者を啓蒙しようとしてしまうので気をつけたいなあ、と(それができていない私は)思うのです。

ただ、これって悩ましい点があります。

高校段階になると

学齢が低ければ低いほど、家庭内でのコミュニケーションは大人の意図を素直に反映させることができます

しかし、高校まで来るとなかなか家庭のコミュニケーションのありようが変質していかないこと。

ある程度自立して、家庭内の「空気感」が出来上がっていることを生徒が感じる高校段階で、コミュニケーションのあり方を変えるのは難しいんですよね。

そういう状況で、

高校生の子をもつ親が「スマホに依存しているならスマホの世界を子供から教えてもらえばいい(ぺこぱ)」とか思ったりして、急に「子供の世界」に入って行くのも微妙。

というのも、子供は敏感で「意図したい方向に自分を操ろうとしている大人の思惑」を察知するからです。

今まで注意してきた親をみて「急に何!?」と思うようになってしまう可能性も。

その意味で、学齢が低い時の家庭での関わり、コミュニケーションのありようって大事だなあと実感するのです。高校の教員をしているとなおさら…

特効薬はない、、が

スマホ依存に特効薬はないのです。

子供を一人の人格として扱い、何気ないやりとりを続けて行くことでしかない。

そして悲しいかな、こうやって一生懸命うんうん大人が唸って考えていても、結局スマホ依存を解決したのは「悪しき」文化として槍玉にあげられる部活の大会や受験だったりするんですよね。

あるとすればこれが現状の特効薬かもしれません・・・。

ただ、これからの学校は、部活や受験以外で、どれだけ生徒が夢中になれる環境を手助けできるか、が問われていると感じているので、

そういう仕組みを学校というハコモノにどれだけ組み入れていけるか、なのかな。

仕組みで生徒を動かそうとしつつも、最後は、生徒の関心を大事にしようとしているか、大人が問われて来るんだなと思います。

1人1台ノートPCを

こう考えていると、BYODがOKの学校であっても、スマホではなく1人1台のタブレットないしノートPCを持たせたいと思ってしまう。

興味のある方はぜひこちらもご覧ください。

www.yacchaesensei.com

ノートPC持参者でスマホ依存している生徒ってどれくらいいるんでしょう?

仮にノートPCに依存している生徒がいたとしても、正直その用途はスマホ依存の生徒よりもよほど「まとも」に見えてしまう。何がまともかわからないけれど。

おわりに

結論は、「スマホ依存の子供のいる家庭に本当に必要なのは、スマホ断捨離術ではなく家庭での会話だ(orスマホよりはPCを!)」 ということになるでしょうか。

個人的にスマホ依存は結構ずっと、ひっそりと、頭を悩ましている問題。

下の記事は、スマホゲーム依存の身体性にも注目しています。

www.yacchaesensei.com「親が買い与えたものなんだから、親がちゃんと観てくれよ!」と正論を振りかざしたい気持ちをグッといつもこらえて「大変ですよね、」と向き合っている先生方、、頭が下がります。